密やかな同居人

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 その部屋でひときわ暖かい場所に潜む獲物が視界に入った。気配を殺してじわじわと距離を詰める。そして自慢のジャンプ力を生かして一気に襲いかかった。満足した俺は、また次の獲物を求めてぴょん、と跳んだ。  俺はこの部屋を守るハンター。アダンソンハエトリという。英語ではジャンピングスパイダー。人家でよく見かける、おなじみのクモだ。オスの俺は黒い身体に白い模様が入っていて、我ながら容姿に恵まれていると思う。  だが名前がよくない。ハエトリでは少々間抜けだ。それにハエばかりを捕らえるわけではないので、親しみを込めてジャンピングスパイダーと呼んでくれたらありがたい。それすらも長いと思うなら、ジャンでもいい。  もっとも部屋を守っているといっても、誰かに頼まれたわけではない。ただ俺は、ここで生まれて居心地がよかったからとどまっているだけだ。  さて、次はどこへ行こう。広い部屋には獲物がいるポイントがいくつもある。どうやらこの部屋の主は掃除や片づけが苦手なようで、獲物がたくさんいる。だから俺にとっても好都合だというわけだ。  趣向を変えて、壁を上ってみる。天井近くにある温かい風が出てくる装置に向かうとしよう。身体の小さな俺にとっては長旅になるが、獲物以外に探すものがあった。  それは、結婚相手。  俺もけっこう長く生きてきた。ここらでぱあっと花を咲かせたい。そう思って結婚相手を探すものの、なかなか見つからない。獲物はあちらこちらにいるというのに。  壁をぴょんぴょん跳びながら、結婚相手の気配を探す。この部屋は獲物が多いからきっと結婚相手もいるはずなのに、見つからないのはどうしてだ。  少し疲れたので、俺は休むことにした。あたりを見回す。ジャンピングスパイダーの俺には何が何だかわからないが、この部屋はさまざまな色とものであふれている。  ふと横の方から視線を感じて、俺は身体ごと向きを変えた。俺を見つめる大きな大きな目と視線が合った。恐怖の色を帯びたその視線は、一瞬フリーズする。そして直後、俺は大きな空気の震えを感じた。 ――ヤバい! 殺される!  俺は自慢のジャンプ力を存分に生かして、がむしゃらに逃げた。  温かい風の出る装置と壁との隙間に身をひそめて、俺はようやく一息つくことができた。さっき出くわしたのは、この部屋の主だ。主は俺たちのような虫が嫌いらしい。俺を見ても、俺が獲物とするものたちを見ても、さっきみたいな反応をする。大きな空気の震えは、主が大声で叫んだのだろう。俺たちには耳はないが、脚のところにある感覚受容器で空気の震えを感じることができる。  それなら、部屋を片づけたらいいのに。そうしたら獲物はいなくなる。同時に俺も生きられなくなるわけだが、どうせ俺の命なんか短いものだ。だからこそ俺は、一刻も早く結婚相手を見つけ出して次の世代に引き継ぎたいと思っている。……主であるあいつが虫に出くわすことなく、快適に過ごせるように。  俺はこの部屋で過ごすうちに、いつしか物陰からあいつの気配を探すようになっていた。  もっともジャンピングスパイダーの俺には、あいつの気持ちなんて複雑すぎてわかるはずもない。だが、あいつが楽しそうにする時には部屋の空気も暖かく、あいつが悲しそうにする時には部屋の空気も寒々しいものだった。天井近くにある装置の影響とは異なる気配を、俺は敏感に感じ取っていた。そして何より、部屋の空気が暖かいと感じる時は俺も嬉しかった。  それなのに、最近部屋の空気が冷たい。天井の装置から温かい風が吹き出ているにもかかわらず。  できることなら、俺があいつに寄り添ってなぐさめたい。だが人間には嫌われがちなジャンピングスパイダーの俺。そんな俺が近づいても事態を悪化させるだけだ。悲しいが、俺の役目は遠くからあいつを見守りながら獲物を狩って、結婚相手を見つけてまた狩りのできる次世代につなげること。  そうだ、こんなところで休んでいる暇はない。俺は結婚相手を見つける旅の途中だったのだ。  温風の出る装置と壁との隙間から這い出しながら、俺は考える。どこに結婚相手がいるかを。やはり暖かくて獲物の出やすいところか。俺はパトロールを始めた。
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