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ハッピーバレンタイン
皆様、こんばんは。安部結菜です。
私は今、オーブンを前に自分の無力さを噛みしめています。
ハートは恥ずかしかったので星形にした(つもり)のチョコケーキはこげ茶色から黒へとグラデーションをつけ不格好に膨らんでいた。
なんで、バレンタイン当日にやったこともない手作りケーキを作ろうと思ったのか。
そして、成功すると思ったのか。3時間前の私に教えてあげたい。
『あなたは、お菓子を自作するスキルは持ち合わせていないのよ』
時刻は21時を少し過ぎたところだ。デパートはもう閉まってる。幸いなことに野村さんはまだ帰宅していないようなので、今からコンビニに行けばまだチョコが買えるだろう。私は財布をつかみコートを羽織った。
玄関のドアを開けると、今まさに野村さんが帰宅するタイミングに、はまってしまった。ピンチだぜ!
「野村さん、お帰りなさい」
「どしたん、出かけるん?」
「ううん。大丈夫」
「そうなん?」
すごく自然に野村さんの腕の中へと引き寄せられたけど、今はやめて、私焦げ臭いから。
「なんか結菜、すごい甘いにおいする」
いや、甘いより焦げ臭くない?大丈夫?
「もしかして、手作りチョコ?」
「いや、違います。断じて違います。今日うち散らかってるんで、野村さんち行きましょ。ね」
「ふーん」
野村さんは私を見下ろし目を細めると、腰に回した手をするっと解いて部屋に上がり込んだ。待って、キッチンには行かないで。
あぁ、お菓子作りできない系女子だということがばれてしまう。可愛くお菓子を作りたい人生だった。
「すげぇ、チョコもみじじゃん」
「へ?」
「これ、もみじ饅頭じゃろ?食ってええ?もみじ饅頭って手作りできるんじゃね」
「いや、違うけど、食べてもいいけど、多分美味しくないよ」
野村さんはちいさく「やった」とつぶやいてそのチョコケーキもどきを口に放り込んだ。
「うん、確かにもみじ饅頭とはちょっと違うようじゃけど、美味しいで」
「嘘ばっかり、無理して食べなくて大丈夫だよ」
「もしかして、ワシのんじゃ無かったか?」
「野村さんのために作ったけど、失敗しちゃったから」
「これで失敗なんか?美味く出来とるで」
「ありがとう。でもほんとに無理しないで。それより絶対そっちの紙袋のやつのほうがおいしいと思う」
野村さんが持ってる紙袋は超有名店のチョコレートだ。この前テレビでやってたもん。行列のできる大人気のちょっとお高い美味しいチョコレート、超絶可愛い缶に入ってるやつだよ、アレ。
誰か知らないけど、女の子にもらったんだろう。私も手作りなんてしないで美味しい有名店のチョコを買って一緒に食べればよかった。
「ん」
私の視線がよっぽど紙袋に向いていたのか、野村さんはその紙袋を私に差し出した。
「それは野村さんがもらったモノでしょ。ちゃんと野村さんが食べないとだめだよ」
いくら私が欲しくても、そのチョコはどこかの女の子が野村さんに渡したものだ。それは野村さんが食べないとダメ。どうしても残るなら、そりゃ一粒くらいは食べてもいいかな、なんて思ったりもするけども。
「いや、これは結菜に買うてきた」
え?嘘。野村さんが、女の子が行列をなすお店に並んで買った……だと。
「なんで?」
「この前食べたい言いようたけぇ、なんかバレンタイン限定なんじゃろ」
「うん。毎年バレンタインだけこの可愛い猫の缶なんだって。シリーズで集めたいくらい可愛い」
「ほーん。じゃあ、毎年これ買おうや」
「うんうん。毎年恒例にしようね……ってなんでそんなにニヨニヨしてんの?」
「いや、毎年恒例いうことは、来年も再来年も一緒に居るいうことよなぁって思って」
なんとなく言ってる意味が分かって、妙に照れくさくて、チョコレート越しにキスをした。
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