右手の恋人

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右手の恋人

「ねぇ、先生?」  私の左隣を歩く彼を、わざとらしく上目遣いで見上げる。 「なんだ?」  彼は前を向いたまま表情ひとつ変えずに言った。相変わらず目も合わせてくれない。 「先生はなんで私と帰ってくれるの?」 「……嫌か?」 「嫌じゃないよ。でもなんでかなって……だって先生、結婚するんでしょう?」  彼は一瞬、切れ長の瞳を開いて息を詰まらせたが、すぐに表情の読めない顔に戻った。 「……知ってたのか」 「言わなくてもみんな知ってるよ……左手の薬指」  ちらりと彼の左手を覗くと、薬指の銀色が月明かりに反射して淡く光った。  ……彼を私から奪った鎖の輪。  彼は気まずそうに、無言で左手をスーツのポケットに入れて隠す。 「別に怒ってないよ。私たちは教師と生徒、付き合うとか、増してや結婚なんて無理がある……それは分かってるつもりだから」  本心だった。  それなのに何故か、声が震えてしまう。  いつか制服とスーツを脱いで、日差しを浴びて歩く夢を、追いかけたくなってしまう。 「……すまない」 「謝らないでよ。先生は奥さんのこと、好き?」 「あぁ、好きだよ。愛してる……だから結婚する」  彼は迷うことなく言った。 「……そっか。じゃあ、私は?」  敢えて意地悪くそう聞いてみる。 「……好きじゃなきゃ、一緒に帰ったりしないだろ」  彼は曖昧にそう答えた。 「嘘だよ……私のこと、ちょうどいい遊び相手だと思って弄んでるんでしょ?」 「違う、本当にお前のことも好きだ。でも仕方がないんだ。教師と生徒じゃあ、表立って特別な関係にはなれない」 「私、明日卒業だよ? それまで待てなかったの?」  明日卒業式が終わったら、「もう生徒扱いしないでよね」って悪戯に笑って、彼も困ったように笑いながら頷いてくれる。そして2人で幸せになれるんじゃないかって、密かに希望を抱いていた。  だけどやっぱりそれは叶わなかった。 「……なんとでも言ってくれ。俺はあいつと結婚する。付き合う前に言ったはずだ。俺はいつか必ず、お前を傷つける。それでもいいか、とな」 「そうだけど……私はすぐに捨てられる都合のいい女?」 「そうじゃない。お前のことも、諦めない」 「だったら……」  私は彼の空いている右手を掴んだ。  左手を誰かの鎖で繋がれているのなら、私は彼の右手をこの手で縛る。 「今日はこのまま、一緒に来て」  彼は妖しい笑みを浮かべて笑った。  私は背伸びをして、彼の唇に近づく。  彼もまた、私に少しだけ近づき……唇を通して熱を分け合った。
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