10年

1/2
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ

10年

※この話は3.11についても出てきています。 苦手な方は回れ右でのお帰りを推奨します。 3.11のとき、自分はとても小さかった。 でも、その時のことを鮮明に覚えています。 3.11の黙祷時、亡くなった方が何人居る。行方不明者が何人かいる。というのを毎回耳にします。 自分は関東地方に住んでおり、しかし、強い揺れが起こるだけで、二次災害や津波の被害は受けませんでした。 ニュースで流れてくる津波の情報や現状を見て、強い揺れに対して抱いていた恐怖心が煽られました。 近くに海のある地域ではありませんでしたが、同じ県内で津波の被害で亡くなった方居る。それだけで怖かったんだと思います。 それなのに、今まで住んできた地域。みんなで築き上げてきた街や地域の文化、家族との思い出の物が一瞬で呑まれてしまったのを目の当たりにしたり、津波に巻き込まれた方はどれ程の怖さだったのだろう。 こんなのはただの綺麗事だと言われることが多いのですが、自分は津波の怖さを分かってはいるものの実際来た時の恐怖心は想像できないものだと、自分は思います。 地震体験車や津波を体感する施設などがありますが、そこは、(来る!)とわかってる。から、あまり怖くはなかったりしました。 街を歩いてる時に、こう言って「要らねぇだろ」と言ってる中年?の方がいたのですが、 要らないなんてことは無いと思います。 確かに、来るとわかってるけど、実際来た時に 体感したあの大きな揺れ、津波が来る、そう思うと逃げなきゃ、と自分はなります。 (個人によるかもしれないですが) それに、亡くなった方の数は人のみだとすれば、人以外の生き物を含めれば計り知れない数になると思います。 先程も言った通り、こんなのはただの綺麗事だ、偽善だ、と昔から馬鹿にされてました。 わかってます。偽善でも良い。綺麗事でもいい。生き物全てが自然に叶うことは無い、と自分は思っています。 でも、そんな自然に支えられて生きてる。 あの日からそう思うようにしてます。 途中から自分語りですみません。 話を元に戻します。 自分は、あの災害で親戚を亡くしました。津波に呑まれてしまったらしいです。こんなこと書くなよ、そう思われる方が多いと思います。でも、それでも自分は伝えたいので書きます。 その親戚は、優しい人でした。叱る時は叱る、褒める時は褒める。地域の人からも頼りにされてる凄く良い人でした。僕は、そんな親戚のことが好きでした。親戚の家に帰ればよく遊んでもらっていました。 親戚は、宮城に住んでいました。津波に巻き込まれ亡くなりました。ただ、親戚の遺体は怪我などの後や傷はありますが、比較的綺麗な状態で見つかりました。亡くなってしまったことに号泣してました。こんなことなら、もっとちゃんとお礼をしておけば良かった、もっと一緒に出かけの誘いに応えていれば良かった。そんな後悔ばかりでした。そんな時、母に言われた言葉。それは 「遺体が綺麗な状態で戻って来てくれただけでも、幸せなのよ。」 と。その言葉でもっと泣いてしまいました。 けど、親戚の妹さん、お母さんお父さんはもっと泣いてしまいました。親戚が亡くなり、ここまで泣くなら、僕は姉が、母が、父が、亡くなったら、泣くどころじゃ無くなってしまうかもしれない、と。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!