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 富山県民である三島は、車で一時間位の所にある宮崎境海岸にやって来た。  季節は早春で午後4時半ごろ、太陽が大分、西に傾いて薄い雲を被って白く光っている。  駐車場から海岸に入る所に金属とガラスの板で出来たモニュメントみたいな物が立っていてガラス部分に「世界で最も美しい湾」と記してある。宛ら誇張した広告を見るようで胡散臭い、嘘臭い、まるっきり嘘とも言えるが、三島は飾り立てること、もっと言えば虚飾することが好きな男だから別段、反感を抱かない。  またの名をヒスイ海岸というだけあってヒスイの原石が打ち上げられる、幅約100メートル東西約4キロメートルに亘って広がる砂利の海岸だ。  後方になだらかに連なる山並の峰が間近に迫るのを不思議に感じながら三島は用意して来た折り畳み式ビーチチェアをセットして座り、ノートパソコンを開いて無線LANを使ってインターネットに接続した。  眼前には縹渺たる大海原。水平線上に広がる青空も当然ながら広大無辺としていて千姿万態の白い波と白い雲が一瞬、同じように千変万化して見える。それくらい空と海が青く溶け合っている。それは嘘だ。誇張だ。空と海はくっきり分かれて見える。三島風に虚飾したのだ。香る潮風や時折、リズム良く渚に打ち寄せる磯波の音が心地よい。それは本当だ。波打ち際ではヒスイを探す人が疎らに歩いている。大抵、狐石を拾っているが、狐石でもロディン石とかハイドログロッシュラーガーネットとかプレナイトとか綺麗なのが有るから化かされてもしょうがない。釣りをする人もいる。そんな中でワークフロムビーチと洒落込むのは三島だけだ。一言で言えば、伊達男。クールビズスタイルみたいにカジュアルな着こなしでオフィス街のビジネスマン風に白のワイシャツに紺のスーツに黒のモカシンそしてネクタイは濃紺の地に赤い縞模様。決して派手ではないが、スーツがカシミヤだったりすることもあって異彩を放ち、どうしたって目立つ。本人はカッコいい積もりであるから見られるのを楽しんでいる。偶に傍に寄って来られて何かを訪ねられると、嬉しくなる。そんな見栄坊で単純な男なのだが、小遣いの足しにしようとスカイプツールを使って日本語のオンライン講師をして稼いでいる。  夕方になって一仕事終わって波の赤い峰と黒い谷が果てしなく連なる海を眺めるともなく眺めていると、それまで背後で見ていた青年に声を掛けられた。 「かっこいいですねえ」  確かに今の三島は夕映えしてアンニュイとして辺りの夕闇が迫って美しさに於いて重々しさと深さを増して行く情景とマッチしてイケている。彼は振り向きざま平生の軽さを取り戻して爽やかな笑顔になって答えた。 「見てたのかい」 「ええ、外国人の方をレクチャーされてるんですね」 「自分で言うのもなんだが、乙なもんだよ」 「そうですね。僕、こういう中でリモートで仕事する人に憧れてるんです」況してあなたはカッコいいと然も言いたげであった。それに応えるように三島はノートパソコンとビーチチェアをそれぞれ手際よく折り畳んで両手で持って颯爽と立ち上がると、にんまりして言った。 「君も中々カッコいいから憧れるよ」 「へへ、御冗談を」 「冗談じゃないよ。なあ。どうだい、カッコいいもん同士、ここは一つ僕と付き合ってみないかい?」 「えっ」 「リモートの仕事も教えてあげるよ」 「ま、マジですか?」 「ああ」三島はこいつは使えると思ったのだ。つまり家に連れ込んで青葉の不倫相手にして自分は不倫旅行に出かけようと企んだ、それが成立する無茶苦茶な夫婦なのだ。「今から僕の家に行こう。飛び切り綺麗な嫁がいるからねえ。夕食作って待ってるんだ。一緒に食わないか」 「あ、あの・・・」と青年が流石に躊躇すると、三島は目尻にしわを寄せ、優しそうに微笑んで言った。 「何にも心配することはないよ。能書きを垂れるようだがね、僕は妻と二人だけで一軒家に住む只の金満家さ。今やってた仕事はほんの小遣い稼ぎでやってるだけで一生遊んで暮らせるだけの金を持ってるんだ。素封家の親父の遺産を相続したからね。だから僕と付き合うとメリットは大きいと思うよ。さあ、どうする。飯食ったら仕事を教えてあげるし、帰りたければ、車で家に送ってあげるよ。家は何処だい」 「あの、僕、学生で、この近くの寮に住んでまして」 「そうか、じゃあ、アルバイトがしたいわけだな」 「はい」 「よし、分かった。ばっちり教えてあげるよ」 「ほんとですか」 「ああ」 「じゃあ、今晩は何にも用はないですから・・・」と青年が乗り気の色を表すと、三島は射干玉の瞳に光を宿して言った。 「来る気になったようだね」 「はい」 「よし、これから僕たちは仲間だ。僕は三島と言うんだ。よろしく」と言って三島が右手を差し出すと、「僕は坂口と言います。よろしくお願いします」と青年は丁寧に言って右手を差し伸べ三島と握手した。その時、西にうすづく日の微かな光が三島の皓歯をきらりと輝かせた。  
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