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帰りのHRも終わり、放課後になった。帰宅部の僕はこれから特にやることもない。ただ、何となくあの家にすぐ帰るのは嫌だった。どうせ帰っても、父親はまだ仕事中なので母親と二人きりだろうが、二人で話すことも特にない。
そう思い、石田を誘ってどこか行こうかと思った。普段放課後二人で遊びに行くときは石田の方から誘ってくれることが殆どなのだが、今日は自分が誘おうという気持ちになった。
石田の方に行き、軽く何か食べにでも行かないかと誘ったのだが、石田が申し訳なさそうな顔をして、
「悪い、今日どうしても無理なんだ。」と断られた。僕と違って交友関係の広い石田は、色々な生徒と遊びに行くことがあるので、しょうがないかと思った。
「いや、いいよ。何か用事入ってた?」
「うん、まあそんなとこ。」曖昧な返事を返されたが、
「また今度俺の方から誘うわ。本当に悪いな。」そう言って先に帰ってしまった。
そういえば、この間も僕が担任に職員室のゴミをゴミ捨て場に運ぶよう言われて石田に手伝いを頼んだ時も、用事があると言われて断られていた。僕が誘って何度か断られたこともあるが、その時はいつも他の友人と約束がある等と、具体的な理由を言っていた。どうしたのだろう、と思う。彼女でもできたのだろうかとも思ったが、僕が見ている感じそのような素振りもない。
しかし、暇をつぶす手段がなくなってしまった。石田の他にはどこかへわざわざ一緒になって遊びに行くクラスメイトもいない。しょうがないから今日はおとなしく家に帰るか。そう思って靴箱に向かった。
シューズからローファーに履き替えて玄関に出る。梅雨の雨が降り続けている。いつになったら梅雨明けするのだろうと思いながら傘を広げて歩きだそうとしたその時、
「東野君。」誰かが僕を呼び止めた。
振り返ると、天野冬子がこちらに近づいてくる。
「天野さん、どうしたの?」
「いや、見かけたから何となく声かけちゃった。」僕の隣に来た彼女も傘を広げる。
その流れのまま二人一緒に歩き始めた。
「あれから体調は大丈夫だったの?」
「うん、何だか心配かけたみたいで申し訳ないね。」
「ううん、いいの。大丈夫ぽくてよかった。」
「天野さんの美化委員て、放課後は仕事とかないの?」
「今日の放課後は当番じゃないの。だけど、明日の朝は少し早く来なくちゃ。」
「そうなんだ。大変だね。」
こんな感じの他愛もない会話が続いた。普段彼女と口を聞くことはないが、彼女の物静かな雰囲気もあってか、言葉に詰まることもなく話すことができた。どことなく口達者ではない自分とシンパシーを感じたのかもしれない。
数学が分からないという話、世界史に出てくる偉人の名前が殆どカタカナだから覚えづらいという話、古典の文法がちんぷんかんぷんという話。そんなことを話し続けた。
すると、ふと天野が僕にこんなことを聞いてきた。
「東野君は、行きたい大学とか将来就きたい職業はあるの?」
僕は取り立てて勉強も得意じゃないし、運動とか芸術にも秀でていない。これからも冴えない人生を歩んでいくのだろうと呆然と思っていた。そんな僕にとって、今の質問は痛いものだった。
「全然そういうのないんだよ。特にやりたいこともないし。天野さんは何かある?」
「私?私はね………」彼女は少しためらう様子を見せて間を置いた後、こう続けた。
「博物館の学芸員になりたいの。」その言葉からは、夢と決意が現れていた。
「そうなんだ。どうして?」
「小学生の頃に社会科見学で博物館に行ったのね。それで学芸員の人にどういう仕事なのかを聞く機会があったんだけど、その時に少し興味を持って。丁度その頃って、小学生の社会の授業で歴史を勉強し始めてて、タイミング的なものもあったとは思うんだけど。それからなりたいなって思うようになったの。」
意志が感じられる瞳と語気で彼女はそう語った。物静かな印象だったが、意外と芯は強いのかもしれない。同時に、将来やりたいことがはっきりとある彼女の状況を少しうらやむ自分もいた。
「学芸員か。いいね、なりたいものがしっかりとあって。」
「でも、学力的に少し不安なんだけどね。」困ったように彼女は笑った。
それからはさっきまでのように取り留めのない話をしながら歩いた。途中で二人の家への方向が違ったので、そこで別れた。
雨の降る中、傘をさして一人で歩く。
天野冬子が学芸員になるという夢を語っているときの、あの瞳が忘れられなかった。彼女は、自分の立てた目標に一歩一歩近づこうとしている。そのことが話を聞いている上で十分に感じ取られた。
それと違って僕は、大して目標もないまま、毎日家で過ごす時間をひどく憂鬱に思っている。ただそれだけの繰り返しだ。何だか、僕と彼女との間にひどく人間としての大きな差があるように感じられて、どうしようもない劣等感がこみあげてくる。
そう思いながらも、これから家に帰ってやってくる、あの時間をどうやってやり過ごすか、そのことが頭をめぐる。
こんな僕は、果たして生きていていいのだろうか。
ちゃんと生きていると言っていいのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎった。
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