第十三話 夕焼けと横顔

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 放課後は掃除当番だったので少し時間を食ってしまい、しまったなと少し悔やむ。というのも、非常階段のある校舎西側は文化部の部室が多く立ち並ぶので、放課後になったらそれまでの時間帯と違い、人通りが多くなってしまうからだ。そんな中で非常階段に繋がる非常口を出入りしたら、必ず怪しまれるに決まってる。  掃除を終わらせて非常口の方に行くと、案の定文化部と思わしき生徒が歩いていた。この中で目立つ動きをするのはまずいと思い、どうしたものかと思案する。そこで一つ閃いて、僕は靴箱へ向かった。  上履きから学校指定のローファーに履き替える。非常階段は外にあるので、校舎の端を歩いて向かう方が人目につかないと思ったからだ。人の足が途切れるタイミングを見計らって移動し、学校玄関から非常階段のある方へ移動する。思った通り、玄関から非常階段のある辺鄙なところへ向かうものは皆無だったらしく、スムーズに行くことができた。  念のために辺りを見回して誰もいないことを確認してから登り始める。階段を踏むごとにアルミ製特有のギッ、ギッという小気味いい音が小さくなる。空は暗いが雨が降っていないことで、これまで来た時と同じように制服が雨に打たれることもなかった。  もし涼野美雪がいなかったら無駄足だなと思ったが、学校鞄も一緒に持ってきているので教室に戻ることなくそのまま帰ることができる。その時は帰宅前にいい運動をしたなぐらいに思うことにした。  無駄に長い非常階段を上り続けて最上部の踊り場が見えるカーブを曲がると、まさかというかやっぱりというか、涼野美雪がこちらに背中を向けて立っていた。いつもは僕の足音に気付いてこちらから声をかける前に彼女が振り返ってくるのだが、どうもその様子がない。少し怪訝に思って彼女の隣まで行き、声をかける。 「お疲れさま。」どうやらイヤホンで音楽を聴いていたようで足音が聞こえなかったらしい。声をかけられて僕に気付いたようで、彼女は自分の耳からイヤホンを外した。 「あら、放課後に来るのは初めてじゃない。どうしたの?」いつものからかうような笑みを浮かべながらイヤホンをスカートのポケットに突っ込む。 「まあ、なんとなくね。放課後は暇だし。」 「彼女と帰らなくて大丈夫なの?」突拍子もないことを聞かれた。 「彼女?なんのこと?」 「先週のいつかの放課後に、女の子と二人で歩いてるのを見たわよ。」悪そうな顔をしている。多分、涼野美雪が言っている彼女とは天野冬子のことだろう。まさか、この間彼女と一緒に帰っているのを見られていたとは。 「別に彼女じゃないよ。ただのクラスメイト。ていうより、何でそのことを美雪が知ってるの?」 「その日の放課後いつものようにここに居たら、たまたま見ちゃったのよ。なんだか仲良さげだったじゃない。」彼女の顔から見るに、どうやらからかうというよりも、純粋にこのことを楽しんでいるらしい。いや、それをからかうというのか? 「よく見つけたね。生憎だけど、その期待には沿えないよ。」 「あら、そうなの。残念ね。女の子の方は、あなたのことが好きなように見えたけど。」  天野冬子のことをあまりに彼女が言うものだから、少しムカッとしてしまった。 「あんまり冗談でもそういうこと言うなよな。何で美雪にそんなこと分かるんだよ。」 「ごめん、何だか怒らせちゃったみたいね。でも、ここは見晴らしがいいから。そういうことは何となく分かってしまうのよ。」あまり納得のいかない答えを言われた。 「見晴らしがいいからって、表情とかが見れるわけじゃないだろ。」 「そうだけどね。ほら、ここからだと見下ろす形になるじゃない。するとね、表情とか仕草は分からないけど、俯瞰して距離感とか歩く速さが見えるから、だからそう思ったのよ。」    言い終えると、彼女はポケットから煙草を取り出して火をつけた。煙が灰色の雲に飛んでいく。どうやら彼女も悪気があってこの話題を切り出したようではないので、それ以上突っかかるのをやめた。 「今日はどうだい?」涼野美雪が僕の方に煙草の箱を差し出す。以前吸った時のあの言いようのない苦みを思い出したが、何となく「ありがとう。」と言って一本貰う。暇がつぶれれば何でもよかった。  口に咥えると彼女が火を差し出してくれた。今度は前よりもすんなり火が付く。独特な苦さは相変わらずだったが、初めて吸った時ほど強くは感じなかった。 「普段から結構吸うの?」彼女の横顔に問いかける。 「んー、一日何本もってわけじゃないかな。今みたいに、何もない外でボーッとした時に吸うくらい。家とかじゃ吸わないよ。」口からだらしなく煙が漏れる。 「そうなんだ。いつから吸い始めたの?」 「昔あまりよくない友達とつるんでいたことがあってね。その時にその人たちから勧められて、その流れで、って感じ。」  何でもないことのように言ったが、そのよくない友達とやらについて聞くのは今ではないと何故か僕の方で思って、その話を深堀しないようにした。 「そういえば僕が来る前に音楽聞いてたみたいだけど、何ていう曲を聞いてたの?」 「ああ、えっとね。」彼女がごそごそとポケットを漁り、ウォークマンを取り出した。 「君が知ってるか分からないけど。」そう言うと電源を入れて画面を見せてきた。画面にはアルバムジャケットと思わしき赤色の水が描かれた画像の上にタイトルが表示されていて、『甘き死よ、来たれ』とある。その日本語タイトルの後ろには、恐らくそれと同じ意味なのであろうドイツ語らしき言語が並列されていた。これまで覚えている限りでは聞いたことがない。 「知らないな。映画とかの主題歌?」 「私もネットでたまたま聞いて気に入っただけだからあまり詳しいことは分からないんだけど、多分そうだと思うよ。聞いてみる?」彼女が僕にイヤホンを差し出す。それを受け取って僕は自分の耳にはめた。 「音、大きかったらごめんね。」彼女がそう言った次の瞬間、曲が流れ始めた。  その曲はピアノ単体の伴奏で始まりを告げた。ゆったりとしたリズムで、コード主体で進んでいく。優しい音だなと思った。すると、そこに女性の歌声が重なってきた。とても透き通った声。それが、声高らかにというよりかは口ずさむように歌っていく。歌詞は英語だからはっきりと全部の意味は分からないが、歌声と演奏の雰囲気から、どこか世界に対して諦めを含んでいることが感じ取られた。普段僕は父親から教わったロックばかり聞いていて、この曲はそれらとはとてもかけ離れたものだが、僕の中に静かに、かつしっかりと染み渡っていった。  そうやって聞き惚れていたら、吸わずに右手に持っていた煙草の灰が自らの重みに耐えきれずボロッと落ちてしまい、制服にかかってしまった。僕がそれで慌てると、彼女がケタケタと笑う。 「はい。」と言われて差し出された携帯灰皿に僕の煙草を捨て入れる。彼女も吸い終わった自分の煙草をそこに入れた。イヤホンを外して彼女の方に戻す。 「いい曲だね。思わず灰がかかるくらいに。」 「そんなに気に入ってもらえたのね。よかったわ。」彼女はイヤホンとウォークマンをポケットにしまうと、すぐ次の煙草に火をつけ始めた。 「吸いすぎは体によくないよ。」 「あら、気遣ってくれるのね。ありがとう。」  二人の間に彼女の吐き出す煙が立ち込める。そんな中で景色に目をやると、奥の山の方で晴れ間が見え始めていた。 「久々に晴れ間を見た気がする。」涼野美雪がポツリと呟く。 「今週で梅雨明けらしいから、今日で雨が続くのも終わりかも。」 「そういえば先週君、そんなこと言ってたね。」二人して明るくなり始めた山を見つめて会話する。 「晴れた日の眺めが得意じゃないって、この間美雪言ってたけど、梅雨が終わったらもうあまりここには来なくなるの?」今日浮かんだ疑問を彼女にぶつける。 「うーん、全く来なくなるとは思わないけど、もしかしたら少しは減るかもね。」 「そうか。」    その言葉を最後に少しばかりの静寂が踊り場に流れる。晴れ間はだんだんと大きくなっていき、夕日が山の麓に顔を出していた。オレンジ色の光が、二人を照らし始める。 「もしかして、私とここで会うのが結構楽しみだったりする?」彼女がいたずらな笑みを僕に向けて聞いてくる。何故だかその顔を見て、僕は気恥ずかしさを覚えた。 「何思い上がってるんだよ。美雪の方こそ、僕がこうやってたまに来るようになって一人きりじゃない時間が増えて嬉しいんじゃないの?」 「あはは、天邪鬼だなあ。」愉快そうに煙草を吸う。  彼女の吐き出す煙が、夕日のせいで若干の赤みを帯びて空へ消えていく。それはこれまでの雨の日と違い晴れ間が見えているためか、以前の気怠さは感じられない。 「しょうがない。」一言置いて彼女が続ける。 「君がここに来ても一人きりで寂しい思いしないで済むように、これまで通りのペースでここに来てあげるよ。放課後は暇なんでしょ?」夕日で顔に赤色が浮かぶ。悪戯っぽい笑みは崩さないままだ。 「はいはい、ありがとさん。」ぶっきらぼうに僕は答えた。 「素直じゃないなあ、照れるなよ。」彼女は吸っていた途中の煙草を再び口に戻す。 『晴れた日の眺めは得意じゃない。』  そう彼女は言ったが、夕焼けに照らされた涼野美雪の横顔は、とても、綺麗だった。
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