第十四話 蝉時雨、哀しい背中

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第十四話 蝉時雨、哀しい背中

 梅雨明けのあの日、初めて僕と涼野美雪が夕焼けの中で会ったあの日からしばらく過ぎた。ついこの間までのジトっとした雨続きの梅雨がまるで嘘だったかのように晴れが続き、気温は日増しに上がっている。  季節がすっかり夏に移ったことで、教室に居る生徒の制服は全員、合服から夏服に変わっている。窓の外からは梅雨の雨ではなく、蝉しぐれがひっきりなしに教室の中へ降りこんでいる。  近頃は放課後に石田と遊びに行くことはめっきりなくなった。それは決して仲たがいをしたとかではなく、彼の母親が体を壊してしまい、その見舞いや弟、妹の世話に追われるようになってしまったからである。学校にいる間はこれまで通りに仲良く話すし、石田のあのお調子者の感じは健全だ。自身がいきなり家族の面倒を見なければならなくなってしまった状況に彼は疲れた様子や文句を一つも言うことなく、クラスメイトにはいつもと変わらず接している。他のクラスメイトがどれだけ今の石田の家族のことを知っているかは分からないが、もし石田が僕以外には誰にも言わず、周りに悟られまいとしているのなら、こいつはやはりとても偉い人間だなと思う。  天野冬子とは、彼女に非常階段で涼野美雪と会っていたことを聞かれてから一時気まずい空気が流れていたが、今はそれ以前と同じように気負うことなく話せるよう戻っていた。一度、涼野美雪の方からも僕と天野とのことで変なことを言われたので、僕の方は何だかやりづらい感じがしていたが、天野の方から普段通り話しかけるようになってきたので、そんなことをあれこれ考えることもなくなった。今では席が隣り合っていることもあり、毎朝挨拶を交わしたり、時折雑談をする間柄だ。  日の照る外を窓から覗く。うざったいほどの太陽が校舎全体を包んでいる。非常階段の方を見ると、見覚えのある人影が動いていた。きっと涼野美雪だろう。まだ昼下がりの五時間目だというのに、あんなところに居るのか。相変わらずだなと心の中でおかしくなった。  彼女は毎日ではないとはいえ、少なくとも週に一度はああやって授業中に非常階段に居るところを目にする。そんな頻度で行ったら僕以外の生徒や、最悪なことに教師に見つかることもあるのではないかと気にかかることもあるが、今のところそういった話を周りから聞くこともない。非常階段自体が校舎のどこからでもあまり目に付くような場所ではないのと、授業時間帯にあんな辺鄙なところを見たり、そもそも人が居るなんて誰も思いもしないだろうから、特段不思議な話でもないか。そう思い、黒板に目を戻す。   僕もあの夕焼けを見た日以降に何度か非常階段へ向かって涼野美雪と会ったが、放課後以外は行かないようにしている。授業中に彼女を見かけることはあっても、わざわざ授業を抜け出して会いに行ったりはしない。僕は授業をサボるほどの度胸のある生徒ではないし、別にそこまでして彼女に会いたいのではない。学校終わりにあの憂鬱な自宅へすぐ帰るよりも、彼女とでも放課後に暇をつぶす方がずっと良かった。  ただ、僕の家族間が上手くいってないことを話したのは、今のところ涼野美雪ただ一人だ。付き合いの長い石田にさえも話したことはない。何故だろうか。石田には話すのをためらう、というよりも話すつもりもないのに、彼女の時はすらすらと言うことができた。あの時は、とても穏やかな気持ちで。あの時は自分でも不思議な気持ちだった。  再び非常階段を見やると、もう人影はなかった。多分、一番上の踊り場の方に行ったのだろう。最後に行ったのはいつだったけ、と思い出しながら、今日の放課後には非常階段に行く心づもりになっていた。
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