第三話 憂鬱な食卓、醜い喧騒

1/1

83人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ

第三話 憂鬱な食卓、醜い喧騒

 石田と学校終わりにハンバーガーを食べに行った後、僕は家へ帰った。着いたのは午後7時まであと少しといった頃だ。玄関で靴を脱ぎ、リビングへと向かう。 「ただいま。」リビングに併設している台所で夕飯の支度をしている母に声をかける。 「おかえりなさい。」顔だけをこちらに向け、手は動かし続けて母が答える。 「少し食べて来ちゃったから、ごはん少なめでいいよ。」 「そう。」少し不満げに母が言う。  そこで会話が終わり、僕はリビングのソファに腰かけてテレビをつけ、別に興味を惹かれないバラエティー番組を眺める。テレビの中ではトークを弾ませている芸能人たちが楽しそうにしているが、それに釣られて僕が笑うことはない。ただ、これからの憂鬱な食卓のイメージだけが頭に浮かんでいた。家の中にはテレビからの笑い声と、それに全く似つかわしくない母親の刻む包丁のリズム、それから鍋に火がかかる音が聞こえるだけだ。    程なくして、玄関のドアの開く音がした。ドダバタと靴を脱ぐ品の無い音が聞こえ、リビングにスーツ姿の父親が入ってきた。 「ただいま。」父はソファに座る僕に言う。 「うん。」僕も顔は向けるが気のない返事をする。 父はその後リビングを出てスーツから部屋着に着替えて戻り、台所そばの食卓に腰かける。 父親と母親が話す様子はない。 「できたよ。」そう言うと母親が台所からできたばかりの料理を食卓へ運ぶ。  母親のその声を聴いた僕はソファから起き上がり食卓につく。  こうして、僕の家の夕食が始まる。いただきますも何も言わず、それぞれが箸を動かし始める。家族三人の中に会話はない。時折、父親か母親のどちらかが僕に学校はどうだ、進路はどうするんだみたいな話題を振ることはあるが、その会話も僕と父親、僕と母親の組み合わせでしかされず、父親と母親の間、ましてや三人揃って話すことはない。こうして憂鬱な食卓は進み、全員食べ終わった時に終わる。 「ごちそうさま。」食器を台所の流しに置き、その流れで僕は風呂に入った。  湯船につかっていても、食卓からの憂鬱が洗い流されることはない。この後にまたさらに憂鬱が続く、いや、深まるかもしれないからだ。    風呂から上がり、冷蔵庫からジュースを一本取り出してすぐに二階の自室に上がる。中学生の頃お年玉で買ったCDミニコンポの電源を入れると、スピーカーからTHE HIGH-LOWSの『日曜日よりの使者』から流れてきた。一階に響くことがないように音量を上げて聞きふける。この時だけは、家の中でも全てのことから解放される。  しばらくそうしていると、下から父親の怒鳴る声が聞こえる。最初は父親だけだったが、やがて母親の声も聞こえるようになり、それはヒステリックをはらんだ金切り声に近いものになっていった。  今日も始まった。  夫婦喧嘩といえばそれまでだが、今ではほぼ毎日のように行われている。二人の言い争いは終わる気配を見せない。この時間とこうなるとそれから逃れるようにスピーカーからヘッドホンに切り替えて音楽だけ聞こえるようにするのが今では僕の習慣だ。  僕が小さい頃はこんなではなかった。たまに夫婦喧嘩を目や耳にすることはあったがそんなに頻繁ではなかったし、今ほど狂気じみたものではなかった。夕食になったら三人で楽しく話して食卓を囲んでいた。  それが崩れ始めたのは中学三年生の時で、きっかけは父親の不倫行為が発覚したことだ。母親から父親が不倫していたことを聞かされた。どうやら、同窓会で再会したかつての同級生と数年間に渡って関係を持っていたらしい。涙ながらに僕に向かってその話をする母親の顔を今でもよく覚えている。その頃の父親はかつて僕が小さい頃憧れた威厳など失い、家に居ても居場所がなさそうにしていた。あんなに父親が小さく見えたことはない。  その時に、子供の頃は完全無欠に思えた親という存在も、何ら普通の一人の人間だということを知った。  不倫発覚直後は、家の中で常に母親が父親を罵倒する声と安らぎなどない閉塞感が流れていた。一時は離婚する瀬戸際まで行ったのだが、僕の将来や環境のことを思い、二人とも踏みとどまったらしい。  それからしばらくはどこか気まずさが残りながらも形だけは平穏な家族を装っていた。だが、そんなものは長く続くはずもない。そんなことはまだ中学生だった当時の僕にも薄々分かった。  やがて両親の間の歪みはこらえきれるものではなくなったらしく、最初は二、三週間に一回だった喧嘩が週に一回、数日に一回となっていき、いまではほぼ習慣化している。途中から僕は喧嘩が始まる前に自室にこもり、今みたいに音楽を聴いて聞こえないようにしていたため、二人がどうしてそんなに喧嘩するのかはわからない。正直よくやるなという呆れに近い感情もある。それと同時に、こんなことを毎日するぐらいだったらあの時離婚していた方が良かったじゃないかという怒りなのか恨みなのか分からない感情もある。  いつまでこんなのが続くのだろう。  いつまで憂鬱な食卓と醜い喧騒に晒されればいいのだろう。  そう思いながら、僕は耳に流れる音楽に沈み込んでいった。  『ミサイルマン』が、僕の中に流れ込む。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

83人が本棚に入れています
本棚に追加