第四話 涼しい瞳

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第四話 涼しい瞳

 授業中に非常階段の方で人影を見てから数日が経った。梅雨のせいもあってあの日から雨は絶え間なく降り続いている。気になってたまに非常階段の方に目をやるが、あの日以来見かけることはない。  無駄に重い書類の束が入った段ボール箱を抱えて僕は廊下を歩いていた。今日の昼休みに僕がトイレから出たところをたまたますれ違った担任から、職員室に溜まった不要な書類を放課後に校内のゴミ捨て場へ持っていくよう言われたのだ。何故ですか、と聞いたら何やら先生の方で会議があるらしく、その上僕は部活に入ってないから放課後暇だろうと言われ、咄嗟に断る体のいい嘘も思いつかなかったので引き受ける羽目になってしまった。石田に手伝ってくれないかと聞いたのだが、今日は用事があるからどうしても無理と言われてしまい、今一人で黙々とやっている。  ゴミ捨て場に着いて段ボール箱を下におろす。あともう一箱残っているため、一度職員室に戻ってまたここまで来ないといけない。石田が居てくれればこれで終わったのに、と面倒くささを感じながら職員室に向かう。  薄暗い廊下を歩きながら雨の降る窓の外を見る。校舎がロ字型のため、どこからでも中庭が見える造りになっている。中庭に植えられた木々の葉が雨に打たれて揺れている。  相も変わらず家では親の醜い喧嘩が続いている。それがない時間でも気怠い憂鬱な空気が朝夕関係なく続いている。いつからかそれが当たり前になってしまった。しょうがないことだとは思いつつ、どこかで自分の中で黒い靄が生まれ、徐々に大きくなりつつあるというのも気付いている。たまにどうしようもなくなり壊したい、というよりも壊れたいという衝動に駆られることもあるが、どうにか音楽を聴くことでそれを打ち消している。  このことはまだ誰にも話していない。石田さえもこのことを知らない。元々は父親の不倫行為がきっかけということもあるかもしれないが、言い出しづらいのだ。  そんなことを考えていると職員室に着き、あと一往復かと思いながら残りの段ボール箱のところへ行く。するとその途中、自身に割り振られた机の前に座っている僕の世界史担当の畠山の姿があった。その前には一人の女子生徒がこちらに背を向けて立っている。その着崩した後ろ姿に見覚えがあった。先日、石田と一緒に居た時に階段の前で畠山に説教されていた女の子だ。確か、涼野美雪という名前だったか。さっき職員室に来た時は居なかったのに、と思いながら距離が詰まっていく。  通り過ぎる折に目に入ったところ、畠山が自分の机の上に広げられた名簿と女子の顔を交互に見やりながら女子生徒に話しかけている。説教なのかと思ったが、口調とその表情は叱るというよりも諭すような感じだ。女子生徒はそんな畠山に向かってはい、とどこか気の抜けた、というよりも無味乾燥した返事をしている。  その会話を背中越しに聞いた僕は段ボール箱を持ち上げて、今来た道を引き返す。すると、その女子生徒の顔が目に入った。座る畠山を見下ろす形になっている彼女のその瞳はどこか涼しげで、とても教師に放課後居残りさせられて諭されている生徒とは思えない。かといって、早く終われよというような不貞腐れた顔ではなく、ただ興味がないといった感じに見られる。どこか感情がないような。    すると、僕の方に気付いたのか彼女が一瞬こちらに顔を向けて目が合った。何とも言えない気まずさを覚えた僕は素早く顔を逸らし、そのまま職員室を出てゴミ捨て場に向かった。  薄暗い廊下を通ってゴミ捨て場に着き、さっき置いた段ボール箱の横に残りの一箱を並べる。ゴミ捨て場には屋根が付いているが、差し込む雨で他のゴミには雨粒が滴っている。  先ほど置いた段ボール箱は、もう結構な雨に打たれたのだろう。表面の半分ほどが濡れて変色している。今置いた方も所々まだらなシミができ始めている。    雨で姿を変えていく段ボール箱を見ながら、何故か僕の瞼の裏には、さっき職員室で見た彼女の瞳が浮かんでは消えを繰り返していた。感情の分からない、あの涼しい瞳が。
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