第五話 眠れたら

1/1

83人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ

第五話 眠れたら

 CDミニコンポのスピーカーからは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの『モーニング・スーサイド』が流れている。今日も、一階から逃れるようにして風呂あがりすぐに二階の自室にこもった。  こういう風に僕が時間を取って音楽を聴く習慣が身に着いたのも、最初は父親の影響だった。父親は世間一般的にロックといわれる音楽を好んでいて、よく自分の車で流しており、それを聞いて興味を持った小学生の僕に色々教えてくれるようになったのだ。昔は僕にお薦めのCDを貸してくれたり、一緒に音楽の話をすることもあったが、そんな影はもうない。今では音楽を聴くという行為が、僕にとって居場所があるようでないこの家の中で安らぎを与えてくれる唯一の手段になっている。  どこを見るでもなくベッドに腰掛け、流れる音楽に耳を傾ける。すると、職員室で見た涼野美雪のあの涼しい瞳が思い出された。教師への反逆心からか不機嫌そうな顔をして説教される生徒をこれまで男女問わず何人か見ることはあったが、あんな瞳をした人は見たことない。反省や嫌悪感があれば決してしないだろう、いやに記憶に残るあの瞳。  そうしていると、一階から両親の喧騒が聞こえてきた。いつもは父親一人の怒声から始まり、やがて母親のヒステリックをはらんだ悲声が混ざり合ってくるのだが、今日は開始から二人の大声が響く。急いでヘッドホンに切り替えようと思ったのだが、不幸にもその前に会話の一部が漏れ聞こえてしまった。  このくそ女、いい加減にしろっ!  ……!…………!?  あんたがもとはといえば始めたんでしょ!  何言ってんだ、違うだろ!  …………!  くたばれこの野郎!  何よその口の利き方は!何でそんなに偉そうなの!  …………!  醜い。ただただ醜い。  これまであえてそうして来たこともあって詳しい二人の罵り合いを聞いたことはなかったが、こんなにも愚かだったとは。その中に混じっていないとはいえ、あの愚者二人と同じ建物の中に自分も身を置いているのだということでさえも僕に哀しみを覚えさせるのには十分だった。何もせずにただ逃れるように自室に潜んでいる僕も、両親と同じように愚かなのかもしれない。いや、行動を起こす気がないという点で二人よりも愚かなのか。  僕はヘッドホンを取り出して端子を接続する気力もなく、ベッドに力なく腰掛け、下から二階まで上がってくる両親の怒声を聞いていた。聞こえるが、内容は頭に入ってこない。その声から嫌悪感と諦めに似た感情が僕の中で入り乱れる。  両親の声から生まれる不協和音の中で、僕の耳はコンポから出てくるTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの『眠らなきゃ』を求めていた。    眠れたら、今日はこの混沌から抜け出せるのだろうか。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!

83人が本棚に入れています
本棚に追加