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奇襲
顔を上げ、一言そう言ったのは間違いようもない沙流であった。
木下の脈が上がり、冷や汗が伝った。どうして、ここに。指が白くなるほど拳を強く握って、木下はそこに立ち尽くした。
成長した沙流は木下に向かって言った。
「早くお前の部屋へあがらせろ」
昔と全く変わらない物言いだった。
それから1ヶ月ほど、木下は再び暗闇から足を引っ張られることとなった。
朝起きれば沙流がキーキーと、出勤前まで沙流がキーキーと、帰宅するなり沙流がキーキーと、夜は沙流が眠るまでキーキーと。これをしろあれをしろこれは嫌だそれがいい。うるさいうるさいうるさいうるさい。
疲れているのに命令するな、不満なら自分でやれ、何様のつもりだ、嫌だいやだイヤだ。
木下はギリギリと歯を噛み締めた。頭をバリバリとかきむしった。爪をガリガリと咬んだ。
不眠で隈ができ、目が充血しだした。同僚たちはそんな木下を心配した。
大丈夫か。その声に木下は疲れた顔で無理やり笑顔を作って大丈夫と答えるしかできなかった。
彼の頭には幼い頃から繰り返されてきた沙流によるいじめの数々が甦る。心と体に刻まれたトラウマの数々は、木下に抵抗する力を奪っていたのだ。
そして、そのまま彼は1ヶ月堪えてしまった。誰にも言うことができないまま。
沙流は相変わらず木下の部屋に居座っている。働くことも、外出もしていないようだった。
いっそ、自分が出ていこうか。木下がそう考え始めていたときのことである。
職場での休憩時間に見た父親からのメールで、木下の考えは一転した。
「殺人で指名手配されている」
今日は寄り道して帰ろうか。
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