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1話

 森下美咲は短大を卒業して、ベビーと子供服のチェーン店に勤めている。  働き始めて三ヶ月、店長と三十代のパートが二人。女性だけの職場だ。美咲は子供も洋服も好きなこともありすぐに仕事に慣れた。  それは美咲の明るく真面目な性格も役立っているだろう。学生時代は喫茶店でバイトもしていたので接客も得意だ。先輩に教わりながら、時には若い人の意見を求められ充分に仕事をこなしている。  店は住宅や学校、病院やスーパーもある。広い敷地にゆったりと建てられていた。 「いらっしゃいませ」  来店のメロディーが鳴り、美咲は笑顔を向けたが、入ってきた年配の女性客はにこりともしない。きちんとした身なりから実際より若く見えるかもしれないが、六十代後半……いやもう少し上だと思った。 「お祝いですか?それともお孫さんに……」 「決まったら声をかけるから」  女性の冷たい声に美咲は焦りぎみに大きくお辞儀をして謝った。 「す、すみません。失礼しました。ごゆっくりどうぞ」  レジに戻った美咲を、二人の娘を持つ三宅がフォローする。 「気にしないで。あのお客さん三カ月に一度くらい来られるの。いつも不機嫌そうで話しかけづらいのよね。見て回ったら必ず買ってくれるけど」 「そうそう、もう一年くらいになるかな?遠くの街で住む一人息子に子供ができたもののお嫁さんと上手くいってなくて、服を送ってるって感じかなぁ」  三宅の幼稚園の迎えでシフトの入れ替わりの、中二になる息子がいる増田が制服のエプロンを付けながら話に入ってきた。 「そうよねー、きつそうなお姑さんだもんねー」  逆にエプロンを外しながら三宅はいるのかもわからない彼女のお嫁さんに同情する。自身も夫の母親とあまり上手くいっていないからだろう。  顔をしかめた三宅の声を、所用から戻った店長の杉山が遮った。 「お客様の噂話はだめよ」  もちろんみんな小さな声で話しており、広めの店内には緩やかな音楽も流れている。だが聞こえていなくても、悪口は接客の態度に出てしまう。 「森下さんも気をつけてね」 「はい、すみません」  美咲は杉山に謝り、自分のフォローをしていて注意された三宅と増田にも申し訳なくて頭を下げた。  こっちこそゴメンと手を振り、三宅は帰り支度のために控え室に向かった。客の女性は各コーナーをゆっくりと見ては、時おり手に取り選んでいる。  少しして、若い妊婦とその母親が来店したのをきっかけに急に客が増えた。子供の手を引いた大きなお腹の妊婦、小さな赤ん坊を腕にぎこちなく抱く若い夫と妻と母親は出産の祝い返しを選びに来たと来店時に告げた。  平日の午後だと言うのに混むと思っていたら、レジの横のカレンダーの大安という赤い字が目に入った。  実際店が混雑するのは土日だ。贈答には自社ブランドのベビー服を買う人が多いが、日柄を気にすることもない。だがお返しの発送の日にち指定が時たまあり、美咲も暦を注意するようになった。 (あの人もそうなのかな?)  噂話をしてはいけないと言われたが、ちょっとくらい考えるのはいいだろう。アドバイス出来たら嬉しいし……そう思っていた。  店長がお祝い返しの相談に乗り、増田は初めての出産準備に何から揃えていいのやらという家族に自社の小冊子を渡し説明していた。三人目がお腹にいるベテラン妊婦もその話を聞きつけ会話が盛り上がる。  そうこうしているうちに新たな客も来た。赤ちゃんの泣き声と駆け回る子供を注意する母親、人々の楽しそうな話し声に店内は賑やかだった。  
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