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3話
美咲は店の前の停留所に、丁度来たバスに乗る女性を見送った店長の元へ駆け寄った。
「今の方、もしかして耳が……」
学校の福祉の授業で少しだが手話を習った。店内から見えた杉山の、眉間を指で摘まむようにして片手で拝む仕草は『ごめんなさい』と言う意味だ。
「森下さん手話、分かるの?」
「学校で少しだけ、挨拶程度ですけど」
今まで接客したことがなかったが、確かに耳の不自由な客も来るだろう。店長のように自分も勉強して彼女に今日の非礼を詫びよう……そう思っていると杉山は美咲に言った。
「勉強するのは良いことだと思う。でもあの方は手話はお嫌いみたいだから……」
「え?」
「今も特別扱いはやめて欲しいって。……いろんなお客様がいらっしゃるから、今日のことを学びの一つととらえましょう」
確かに一人で決めたい客がいれば、店員から声をかけてもらいたいが言い出せない人もいるだろう。見極めは難しい時もある。
「でも私、何かしたいです。もしまた来てくださることがあったら、気持ちよくお買い物をして貰いたいです!」
「森下さん。……そうね、私もお客様に喜んでいただきたいわ」
来客のメロディーが鳴り、陳列棚の服ををたたみ直していた美咲は手を止めて振り返った。
「いらっしゃいませ」
いつかの女性客だ。あれから三ヶ月、気まずい思いをして、もしかしたらもう来てはくれないかと思っていたが再来に美咲は喜ぶ。
ゆっくりとベビー服のコーナーを端から見ていく。ふと何かに気付き手に取り、それを戻しては次の商品を見て回る。三十分余り見た後、ブラウスと明るいピンクに白いレースのジャンパースカートを持ちレジの美咲のところに来た。三歳児用サイズだが肩のアジャスターで前後の年も長く着られる。
「ありがとうございます」
はっきりと口を開けば、聞こえていなくても唇を読んで伝わっているはずだ。
「これ、あなたが?」
声をかけられて驚いたが、彼女が手にしたカードを見て頷いた。
「はい、商品の良さが分かるように」
あれから美咲は店内の商品のポップの下に小さなメッセージカードを置いた。商品の年齢の目安、洗濯の取り扱いの注意書きなど。他のスタッフとも相談しておすすめポイントを書いた。そのまま贈答品に入れてほしいと客からの評判も良い。
「これは何?」
彼女だけ特別扱いでないのだが、何か感じて気にさわったのだろうか……。そうヒヤリとして指先を見ると『美咲のおすすめ☆お姫さま気分♡』と書いた部分を指している。
「あー、個人的に私が可愛いなと」
やりすぎたかなと下を向く美咲のネームプレートを見た客は小さく呟いた。
「森下……美咲さん。きれいな名前」
「ありがとうございます。すぐにお包みしますね」
正直「美しく咲く」と、自分の名前は漢字を説明する時に少し恥ずかしいのだが、彼女がくれた言葉はうれしかった。
手話を勉強する流れで、難聴のことも学んだ。生まれつきや中途失聴もあるが、聞こえない状態で話すのは大変だと知った。喋っているのをからかわれて話さなくなる人がいるともいう。確かに彼女のくぐもったような声やイントネーションは独特かもしれない。
増田と三宅も「良かったね」とアイコンタクトを送って来る。美咲は商品を渡す時に何となく聞いた。
「お孫さんの名前は何ておっしゃるんですか?」
女性の手が一瞬が止まり、そのあと紙袋を奪うようにして店から出て行ってしまった。
「あ、ありがとうございました。すみま……せん……」
自分に背を向けた客には届いていない声は先細り、美咲は深々と下げた頭を上げられずにいた……。
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