3人が本棚に入れています
本棚に追加
終わりはあっけなく
彼女が入ってきた瞬間、違和感を感じた。
――何故黒いコート?
二月と言えど、もう下旬。真冬程の寒さはないし、曇りだと言ってもコートを着込めば暑いくらいの気温だ。
だが彼女は少しも暑そうな素振りを見せず、爽やかな笑顔をこちらに向けた。
「あ、おはようございます」
「……ああ、おはよう」
挨拶だけやり取りして、彼女はさっさとカウンター席に座った。
だがコートは脱がず、着たままだった。
更に彼女は言うのだ。
「今日はコーヒーだけお願い。その代わり、うんとおいしいのを、ね」
「……はいよ」
朝ごはんを食べてきたのだろうか。それとも急いでいるのだろうか。
もちろんそんなことを聞くことなんてできなかった。
時計が十時半を指したころ、彼女は立ちあがって店を出て行ってしまったのだ。「じゃあね、お二人さん」といつも言わないような言葉まで残して。
「一体、なんだったんだ?」
俺の呟きにマスターは、ふう、とため息を吐き、言った。
「あいつのことは忘れろ」
それだけを言い残して、彼は黙り込んだ。
それが、彼女とも、マスターとも最後の会話となった。
翌週、俺は例の喫茶店の前で立ちすくんでいた。
店の扉には『突然ですが店をたたむことになりました』と書かれた張り紙がされていたのだ。
窓から店の中を覗いてみると、確かに椅子やテーブルもすっかり片付けられている。
「急だな」
そのまま帰るのも忍びない、と駅地下の万人受けするようなカフェに入った。だが本を読むには、テーブルが少し汚いように見えてやめた。
結局スマホを手に取り、適当にニュースや天気予報を見る。
だがふと、目についたものがあった。
――作家殺しの犯人逮捕。
まだデビューしたての売れない、作家先生が部屋で殺されているのを発見されたという。図書館みたいな部屋で、最後に飲んだのが睡眠薬入りのコーヒーだったらしい。
「物騒な世の中だな……」
言いつつスマホをしまった。頼んだコーヒーはとっくに空になっていた。
カップをゴミ箱に捨て入れ、俺はさっさと店を後にする。
今日もまた、太陽は顔を見せない。
最初のコメントを投稿しよう!