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ポケット軽けりゃ尻も軽い、それが雷一の人生だ。
その夜はパチスロで派手にスりむしゃくしゃしていた。
「はあ……ツイてねえ」
ドギツいピンクに染めたベリーショートの髪、両耳には無数のピアス。赤地のスカジャンには昇竜の刺繍がしてある。見た目だけなら二十代前半で通るが、単に落ち着きがなく若作りなだけだ。
三十路の身空で一番長続きした仕事はヒモ兼パチプロというのだから、実家に勘当されるのもお察し。
高架下の暗がりにさしかかると同時に電車が駆け抜ける。
鈍い振動と重低音が鼓膜を揺すり、窓から落ちる明かりが路面を照らす。
この辺は小学校の通学路になっているが、夜ともなれば人けもなく静まり返る。
互いに寄りかかった放置自転車の横を素通り、高架下に踏み込む。
「ん」
足を止める。
高架下の暗がりに人影が蹲っている。灰色のブルゾンを着た、胡麻塩頭の老人だ。どこにでもいそうな風体だが、彼が引く屋台のほうは珍しい。
リヤカーには大小の水槽が三段に積まれ、それぞれの中で金魚が泳いでいる。
雷一はあっけにとられて立ち尽くす。
老人が流し目をよこすなり、気分を害したように鼻面に皺を寄せる。
「なんでえじろじろと。イマドキの若ぇもんは、金魚売りも知らんのかい」
「金魚売り……ってアレか、昭和のドラマや時代劇で金魚を売りにくる?」
「見りゃわかんだろ、オツムが鈍いな」
さんざんな物言いだ。一応客商売だろうにいいのか?
少しむかっ腹を立てたものの、それを上回る好奇心がもたげてくる。
金魚売りの老人の正面にしゃがみこんで口を開く。
「季節外れじゃねーの、金魚は風物詩だろ」
「コイツらは死にぞこないよ、縁日の売れ残りのその残り」
老人が盛大に紫煙を吐く。
言われて見れば、プラスチックの水槽に泳ぐ金魚はどれも元気がない。底でまどろむようにじっとしているものも多い。
「せめて昼に来いって、時間帯間違えてんぞ。昼間なら珍しもの好きなガキがガッコの行き帰りに買ってくれっかもしんねーのに」
あきれた調子でからかえば、老人はますます憮然とし煙草を噛み潰す。
「ほっとけ、金魚鑑賞ってなあスレた大人の楽しみだ」
「その心は」
「赤いおべべをひらひらさせて気持ちよさそーに泳いでんの見ると癒されんだろ」
「説得力あるんだかないんだか」
「アンタも一匹どうだ?」
「何円?」
老人が指を三本立てる。
「ぼりすぎじゃね?」
「三百円だぞ」
「だからぼりすぎだって」
「上手く育てりゃでっかくなるぞ、鯉みてーに」
「ボロアパートで飼えねーよ」
「洗面台か風呂に水張って放ちゃいいさ」
「その間どこで体洗えばいいの」
「銭湯行け」
「いまどきレアだって」
「んじゃ川」
「無難に逮捕だろ」
面倒くせえのに捕まっちまった。
苦笑いする雷一にここぞと勢いを得て食い下がる。
「一匹百円、いや五十円にまけてやる」
「自分の面倒見るだけで手一杯」
老人がぎょろ目を見開く。
「ただでよこせって?もってけ泥棒!」
「言ってねェし」
どうあっても押し付ける気満々ときた。
強引さに辟易する一方、あんまり必死なもので生来お人好しな雷一は同情する。
この時間まで屋台を引いてたということは、金魚の売れ行きは芳しくないのだ。
道行く人にかたっぱしから声をかけれど空振り続き、歩き疲れて高架下で休んでたなら哀れを誘うし、売れ残りの金魚を積んでとぼとぼ徘徊する姿がツキに見放された自分と重なり、赤の他人だからと突き放せない。
寿司折りならいざ知らず、酔っ払ったサラリーマンが家族への土産に生の金魚を買っていくとは考えにくい。
雷一は長々と息を吐き、頬杖を付いて呟く。
「金魚にゃトラウマがあってさ」
「踊り食いでもしたか」
「元カノがトイレに流した」
衝撃の事実に、さすがの老人も閉口する。
「そりゃまた……怖ェ女だな。うちの女房といい勝負だ」
「別れ話がこじれちまって……去年の夏祭りに二人でとって、けっこーでっかくなってたのに」
思い出すだに胸が痛む。
トイレの水に揉まれて流されていく金魚の姿は、雷一の目にしっかり焼き付いて離れない。
「あれから生き物は飼わねェって決めたの」
元カノが去った後、空っぽの水槽は粗大ゴミの日に出した。金魚がいない水槽なんて見ていても寂しさが増すだけだ。
「トイレで水葬されたんじゃ浮かばれねーな」
「ダジャレかい」
「確かに浮かんじゃ来ねーけどさ」
鼻白む雷一と向き合い、老人がにっかり破顔。
「お前さん、イイ奴だな」
特別に教えてやる。
老人があたりを憚る小声で手招き、雷一は注意深く乗り出す。
「コイツはな、夢を叶える金魚なのさ」
老人が耳打ちする。
「ゾウのパクリ?」
応とも否とも言わず、意味深に微笑んで離れていく老人を見返す。
「騙されたと思ってもらっていきな。悪いようにはしねえから」
「だからもーこりごり」
「いいからいいから」
てんで人の話を聞いちゃいない。
老人はいそいそと腰を上げ、ポイで水槽からすくった金魚をビニール袋に移し、有無を言わさず雷一に手渡す。
「夢を叶える金魚ねえ……眉唾だな」
代金はいらねえよ。
その申し出に心が動いたわけでもないが、老人に押し切られて金魚を受け取る。ここで断ればその他大勢と一緒に処分される運命、だったら素直に譲り受けた方が数日延命できる。
水洗トイレに流れていった金魚の末路が瞼の裏に浮かび、雷一はビニール袋の中を覗きこむ。
いかにも小さく弱々しい。縁日の売れ残りの残りというのがしっくりきた。
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