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其の終
「…………」
明人は無言で怠い体を反転させて、布団の上で峻生に背中を向けた。
夜はとうに明けて、太陽の光がキラキラと輝いている。
明人は横臥したまま、目の前の偉観を眺めた。
閉められていた障子は開け放たれ、外の景色が見渡せる。
外には滝霊王の屋敷と同じように、立派な庭があるのかなと思っていたのだが。
明人の予想を裏切って、障子の向こうには瑞々しい緑がどこまでも続く連峰がパノラマで広がっていた。
緑の稜線が目を奪われるほどに美しく、小鳥のさえずりが穏やかに鼓膜をくすぐる。
この屋敷自体が標高の高い場所に建っているのか、猛る峰々が雲一つない青空と相まって、明人に迫ってくるようだ。
深呼吸すると、大自然の綺麗な空気が体を巡り、清々しい気持ちになる。
そう気持ちだけは。
体、特に腰周りが重くて、起き上がって動ける気がしない。
明人は布団の中でそっと腰を撫でた。
手が上手に結ばれた帯に触れる。
もちろん峻生がしてくれたものだ。
昨晩の交わりの後、意識を失ってしまって、目が覚めたら全てが清められていた。
己の体も、布団も全て。
そして寝巻は、ご丁寧に新しいものに着かえさせてくれていた。
――何で僕は目が覚めないんだよ――っ!
自分が憎い。
一体、何度、意識のない時に体を洗われれば気が済むのか。
まるで幼い子供ではないか。
起してくれれば良かったのに。
それとも、これが恋人の優しさというやつなのか。
分からない。
全てが初めてだから、何も分からない。
そんな優しく男前な大妖怪鵺は、弱った声を出しながら明人の背中に抱きついてきた。
「あきぃ。悪かったって。な? あきが可愛すぎて、つい歯止めが利かなくて」
ぎゅっと抱き締められ、うなじをついばまれる。
ぞくぞくとした痺れが首筋を通り抜け、明人の頭に昨晩の濃厚な交わりが思い出される。
すごいなんてものではなかった。
何度も去らない絶頂を極めさせられ、峻生は明人の尻から強直を抜く事のないまま、あらゆる体位で明人の体を貪り、人間では信じられないぐらい大量の精液を、中に放ちまくった。
明人は泣きながら喘ぎまくり、もう最後の方は覚えていない。
というか半ば失神していた。
それなのに、それなのに――っ!
何度も何度も。
この大妖怪ときたら。
妖怪辞典の鵺の欄に、性欲旺盛って記載するべきだと思う。
「なぁ、無視しないでくれよ。あんな風に食べてなんて言われたら、男なら誰だって箍が外れるだろ」
「そ、それは……っ」
昨晩の己の誘い文句を思い出して、頭を抱えたくなる。
「い、言ったけど……っ。だからって、あ、あんなに……」
明人は言葉を濁して、頬を染めた。
昨晩の事は、全てが恥ずかし過ぎる。
「あき。こっち向いて」
耳元で囁かれ、峻生の胸の中で体の向きを変えた。
紺碧の瞳が優しく明人を見つめる。
「体、すごい怠い」
「うん」
「また、知らないうちに体が綺麗になってた」
「うん」
「……昨日の僕」
「うん?」
「……すごい、変だった」
明人は自分の顔を手で覆った。
泣いて、喘いで、乱れすぎた己の痴態が、さまざまと脳裏に蘇る。
「昨日のあきは、すごい可愛かった」
「うそっ」
「嘘じゃないって。涙も声も体も、全部魅力的だった。だから、俺があんなに夢中になったんだろ」
顔を覆っている手に、優しく口づけられる。
「……それで、あきの体に負担をかけ過ぎたんだから、反省しないとな。本当に悪かった。ごめんな」
そっと抱き締められると、背中を撫でられた。
本当は、峻生は少しも謝らなくていいのだ。
昨晩の、精根尽き果てるまでの濃厚な交わりには驚いたが、峻生が我を忘れたように求めてくれるのは嬉しかった。
そして、何より自分も強烈に峻生を欲しがっていたのだから。
怒ったり拗ねたりしているのは、ただの照れ隠しだ。
「う……僕も、ごめん。あの、恥ずかしくて……。昨日はすごい……その、気持ち良かったよ」
峻生の寝巻の襟を掴んで胸元に顔を寄せる。
「あき……可愛い」
蕩けるような声を出した峻生に顎をすくわれて、すぐさま唇が重なる。
角度を変えて深く唇が睦み合い、舌を吸われる。
「んっ……んふぁっ……」
甘く官能的な口付けに体の奥に熱が灯りそうになって、明人は慌てて峻生を引きはがした。
「た、峻生さんっ。これ以上はだめっ。布団から出られなくなるって」
「別に、出なくてもいいだろ?」
いやらしく尻を撫でられ、変な声が出そうになった。
「だ、だめだめっ! 千徳さんから幽冥界は時間が曖昧って聞いているけど、そろそろ戻って会社行く準備しないと」
全く時間の経過が分からないけど大丈夫かな、と呟く明人に峻生はおかしそうに笑った。
「出たな、仕事脳」
「違うよっ。別に仕事脳じゃないって。普通に、休み明けからの出勤を考えただけっ」
「分かってる。無事に生きながらえたしな。大切な事だ」
「そう言いながら、笑ってるよねっ」
まだ笑みの消えない峻生の胸を、明人は小突く。
「……仕事脳どころか、もうちょっと現実を直視しろよっていう生き方をしてたから」
「これからは違うだろ?」
「うん」
優しく髪を指で梳いてくれる大妖怪の美しい瞳を、うっとりと見つめ返す。
「……昨日、峻生さんが話してくれた膜の話……僕は全く実感がないんだ……」
己の魂を色々なものから守る為に作っていたという膜。
その膜のせいで鈍感になっていたとか、今回の騒動で消えてしまったとか。
峻生が説明してくれたけど、明人には少しの身に覚えも感覚もなかった。
「でも、今までと人生が全く違って思えるのは、よく分かる」
それは優しく強い仲間達と困難に打ち勝ったからだろうか。
自分の人生の価値に気付いたからだろうか。
「膜以外にも、きっかけは色々あるだろうけど……一番は峻生さんに出逢えた事だよ」
「明人……」
「峻生さんに出逢えて……愛し合う事ができて……。まだ二人で過ごした時間は少ないけど、僕には峻生さんだけだって心の底から思えるんだ」
明人は広く逞しい胸に腕を回した。
「ありがとう、峻生さん。僕と出逢ってくれて、助けてくれて、愛してくれて……。僕は世界で一番の幸せ者だ」
身に余るほどの奇跡と溢れる幸福感。
愛する人の体温を感じながら目尻を潤ませていると、息が止まりそうな勢いで抱き締められた。
「それは俺のセリフだ……。愛してる、明人。ずっと俺の隣にいてくれ」
熱い愛の言葉に、明人は喜びで胸をいっぱいにしながら、何度も頷いた。
嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうだ。
「……最初に雨が降り始めた時は、鬱陶しいなってイライラしてた。まさか、こんなにも人生が変わるきっかけになるなんて、思いもしなかったな」
胸に頭をすり寄せながら、明人は口元を緩ませた。
「そうだな。まさかあんな大事になるとはなぁ。雨が降る度に、明人との出逢いを思い出すだろうが、しばらくは雨粒一つ見たくない気分だ」
うんざりした様子で話す峻生に、明人は楽しげに笑った。
「確かに、しばらくは晴れでいいね。あ、でも……」
「ん?」
「傘……」
明人は自宅の玄関に置いている、少し色褪せた紺色の傘を思い出した。
同僚のささいな一言で使わなくなってしまった古い傘。
ビニール傘を使うようになってからも、捨てられずにずっと置いたままだった。
「修繕したい傘があるんだ。露先が一つ外れそうになってるから、きれいにしてまた使いたいなって」
放置してからも、目に入る度に劣等感が胸の奥を苦くしていたけれど。
もう、そんなちっぽけな気持ちとはおさらばだ。
「なら、付喪神に頼めばいい」
「付喪神って……あの、古い物に魂が宿るっていう?」
「そうそう。ちょうど傘の付喪神がいて、そいつが傘の直しが得意なんだ」
「へぇ~!」
明人の脳裏に、和傘に手足が生えた姿がよぎる。
いや、これは傘お化けか。
「念を入れてくれるから、今より丈夫になるしな」
「すごいね。じゃあ、頼もうかな」
付喪神に傘を修繕してもらえるなんて、何だかワクワクしてしまう。
「付喪神印の素敵な傘になったら、雨が待ち遠しくなるかも」
「そうだな。次に雨が降った時には、俺も傘に入れてくれよ」
それは、相合傘というやつか。
一つ傘の下で峻生と二人。
身を寄せ合って、どこまでも道を行く。
きっと、どんな雨が降ろうとも、素晴らしい時間になるだろう。
ああ。何て楽しいのだろう。
胸の中から見上げると、太陽の光を宿して紺碧の美しい瞳がきらめいている。
明人はこれからの輝く人生に希望の羽を広げながら、満面の笑みを浮かべた。
「大きな傘だからね。峻生さんとの相合傘にぴったりなんだ」
おわり
最後までお読みいただいてありがとうございます。
スターや本棚追加も非常に嬉しいです。
不明なままで終わった魃鬼と清の関係をメインに次作を考えているのですが、プロット段階で煮詰まり中です……。
いつか完成した際には、是非とも次作も読んでいただければ!
それでは、本当にありがとうございました!
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