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わた、じゃない。吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかさっぱり、じゃなくて、とんと検討がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している…
…あーもう!昔からのビジネスマナーで、正式な文章ではこんな口調で話せって言われたけど、もう限界!普通に話すわ。
まあそんなこんなで、この世界で最高位の存在である種族にあるまじき生まれをしたわけよ。本当にあの頃は最悪だったわ。雨風はビュウビュウ吹き込んでくるし、段ボールのベッドは硬くてじめじめするし、虫どもには襲われるし…ああ思い出したくもない!
でもそこは私。有り余る美貌でそこら辺を歩いていたニンゲンのオスを従えて、とりあえず第一歩としてそのニンゲンの住処を手に入れたわ。
でも不満が2つ。一つはこの住処。狭い、狭すぎるわ。部屋も一つしかなくて、大きさもニンゲン一人が何とか生活できる程度。はっきりいって私には不相応なんて言葉じゃ生ぬるいぐらいだわ。というか、このニンゲンもニンゲンよ。こんなに世界は広いのに、何でこんなみみっちい部屋の中だけで過ごしているのかしら。
そしてもう一つ。それは最近やってきたよそ者。ニンゲンが私のための貢ぎ物のために出かけている日中。私の優雅なプライベートタイムに、品のない音を出し、きったなそうな息をまき散らす、白くて丸いあいつ。
ウィィィィィィィン….
…ほんと何が楽しくて回っているのかしら。馬鹿丸出しだわ。
どうやらあいつはニンゲンの代わりに部屋の掃除をするためにここに雇われたみたいね。ニンゲンの更に下とか、まさに奴隷ね。何が楽しくて生きているのかしら。あ、もしかして私の美しい白い抜け毛を回収したいから?わからなくはないけど、キモイわね。
ウィィィィィィィン…
あーもう今日もうるさいわね全く。あーむかつく。あ、そうだ、いいことを思いついたわ。
ネコスナファサー
「ほら奴隷。床に汚れが残っているわよ。早く拭きなさい。」
ウィィィィィィィン…
・・・ネコスナファサー
ウィィィィィィィン…
「…文句の一つくらい言いなさいよ。はーあ、もういいわ、飽きちゃった。今日はもう戻っていいわよ。」
ウィィィィィィィン…
「今日も飽きないわねえ。今日は窓辺で日光浴をしたいんだから、早く終わらせてよね。」
「ほら、そこにもゴミが残っているわよ。全くもうグズねえ。こんなゴミが残っていたら汚らわしいアイツ…ら…が…」
視線が合わさる。ソファーの下に潜む黒光りする、アイツ。
悪寒が走る。それは幼い頃に刻まれた屈辱。記憶が体を蝕み、四肢を硬直させる。
「くっそ!動きなさい!私の体!あんなやつ左腕を振り下ろせば一撃じゃない!ほら!動きなさい!動きなさいってば!!!
そんな私を嘲笑うかのように、アイツは近づいてくる。イヤ、嫌よ。やめて。
「来ないで!誰か!助けて!」
ウィィィィィィィン…スポン!…ウィィィィィィィン…
…目を開けると、そこには黒光りする姿はなく、いつもと変わらぬ、白くて丸い、あいつがいた。
「…助けてくれたの?」
ウィィィィィィィン…
「…ふん、笑いたければ笑いなさいよ。どうせ私は虫一匹も殺せない、落ちこぼれよ!」
ウィィィィィィィン…
「…何か言いなさいよ…本当に冷たいやつね…バカ。」
そっとその丸いボディに触れる。その態度とは裏腹に、その体はほんのりとあったかく、穏やかな春風のような息を吐いていた。
気が付けば私はその子の背中の上に乗り込んでいた。その子は何も言わず、いつもと同じようにゆっくり、ゆっくりと回り続ける。その子の体温が伝わってくる。
「…ありがとうね。」
それ以降、私とあの子の散歩は日課になった。あの子が一通り掃除をし終わった後、最後の見回りの時に上に乗せてもらう。私は色々喋りかけるけど、あの子はいつもだんまりのまま。
それでもその空間には、暖かい時間が流れていた。
「この時間がずっと続けばいいのにな。」
…ウィィィィィィィン………
とある休日のお昼過ぎ。その日も私とその子は散歩をしていた。でも、その日は何かが違った。その白くて丸い体からは、今までにないほど強い熱を放っていた。
「何よ今日はそんなに火照っちゃって。今さら私の魅力に気づいたのかしら?」
ウィィィン…ウィィン…
「ホントにどうしたのよ。静かなのはいつもだけど、やけに元気がないじゃない。」
そうこう話しているうちにも、その子はどんどん熱くなる。さすがにおかしいと思って、飛び降りた時にはもう遅かった。
その子の動きは見る見るうちに遅くなっていき、そして白い息を一筋吐いて、止まった。
「ちょっと!何やってるのよ!ねえ!大丈夫!?起きてよ!起きてってば!」
ウ………ウ…
「ねえ!何か言いなさいよ!ねえ!!こんな時まで黙りこくってるんじゃないわよ!」
その時、ガチャリと扉が開く。
"ただいまー、お?バツどうした?そんなに騒いで。"
「そんなのんきな事言ってる場合じゃないわよこの無能!!、早く、早くあの子を何とかしてよ!」
"どうしたどうした?…あら!これは大変だ!うーん、やっぱ中国製のパチモンは安かろうだなあ。怪我はしてないか?"
「私のことはどうでもいいから!早くその子を…え…ちょっと何してるのよ!その子はまだ生きてる!早く治してあげて!…ねえってば!!!」
ニンゲンは動かなくなったあの子を持ち上げる。そしてそれっきり、その子が歩く姿を見ることはなかった。
・
・
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僕は半年前にご主人に雇われ、掃除をするためこの家にやってきた。
そこでの日々は本当に楽しかった。特に、あの白く、美しいお嬢さんを乗せて一緒に散歩をする時間はとても幸せだった。話をすることは出来なかったけど、あなたの楽しそうな姿を見ることができるだけで、僕は幸せだった。
でもそれは僕には過ぎた幸せだったのかもしれない。一週間前、僕の体は急に動かなくなった。仕方がない。これも運命。今はご主人の家の片隅で、後輩の仕事ぶりを見ながら、最期の時を待っている。
人生に悔いはない。やりたいことはやりきった。…でも一つだけ、心残りが。あの時、あれだけ心配してくれたお嬢さん。僕のために、泣いてくれたお嬢さん。今はこちらには目もくれず、後輩と散歩を楽しんでいる。
「あーあ…本当に冷たい人だなあ。」
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