「第四章 死人占い師」

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「ケガはないか?」  炎を背景に、エルザが私とアンナの元に戻ってきた。  肌が焼けるほどの熱量を発する呪術の跡を眺めながら、私は未だに胸の中の不安が燻っているのを感じた。 「やつらは、渡り烏たちは死んだのでしょうか?」  エルザは労うようにアンナの頭を撫でながら、燃えていく亡者たちの残骸に目を向けた。 「…いや、残念ながらあれは…」   エルザの言葉の途中で目の前に閃光が落ちた。土煙の中から紅の雷をまとった馬が現れたかと思うと、その騎手は飛び降りてエルザに詰め寄った。 「おい、さっきのでかいのは、こっちも巻き込まれるところだったぞ。」  エルザはロザリィの方へ向き直ると小さく肩を竦めてみせた。 「悪かった、あれでも加減したつもりなんだ。だが、お前の援護には助かったよ。お陰で全て撃退できたようだ。」  ロザリィは小さく鼻をならすと、燃え盛る谷底へ目を向けた。 「そのようだな。だが、肝心の渡り烏本人は取り逃がしたようだ。」  それを聞いてエルザも苦々しげに唇をかんだ。 「ああ、どうやらやつは追跡されることを想定していたようだな。しかも、これだけの数の亡者を用意していたということは、追ってくるのが私たち魔女だと認識していたようだ。」 「どういうことですか?」  エルザへの質問の答えはロザリィから返ってきた。 「どういうこともなにも、こいつらは渡り烏本体じゃない。死者の身体を使った、悪質な使い魔みたいなもんだ。」  理解ができないという私の表情を見てとったのか、エルザが補足してくれた。 「これらの亡者は、元はただの人間の死体だ。だが、渡り烏は何らかの魔法で、死体を人形のように操っていたということだ。」  私はそれを聞いて、炎の中を見つめた。先ほどまで動いていた異形達が、元は人間だったとは、にわかには信じられなかった。 「動くのですか、死体が…」  我知らず呟いた言葉にエルザはうなずいた。 「数ある魔法の中でも、死人を操る術は珍しいがな。私が今まで出会った魔女の中で、死霊魔法を使うのは一人だけだった。」  それを聞いて、ロザリィはエルザを睨み付けた。 「おい、エルザ。まさか今回の事件は"ミラルダ"の仕業だなんて言い出すんじゃないだろうな?」  エルザはため息をつくと、いやな思い出を振り払うように頭を振った。 「まさか。『墓守りのミラルダ』はとうの昔に死んでいる。私が言いたいのは、渡り烏というのは、やはり、我々の知らない未知の魔女だろうということだ。」  ロザリィは大袈裟に鼻を鳴らすと、自分の馬にまたがった。 「結局、渡り烏の正体については『死人占い師』ということ以外はわからないか。難儀なもんだな。」  後ろにまたがったエルザを振り返って、私は耳慣れない単語について質問した。 「『しびとうらないし』ってなんですか?」  エルザはアンナを渓谷の出口に向かって進めながら、説明を始めた。 「『死人占い師』、またの名を『ネクロマンサー』。かつて、魔女集会の一員だった『墓守りのミラルダ』という魔女が自らをそう呼んでいた。」  心なしか、エルザの声は元気が無いように聞こえた。 「彼女の魔法属性は他の魔女とは大きく異なり、人の肉体や、魂(ソウル)を操ることに特化したものだった。ミラルダ以外、そのような性質の魔法を使える魔女はいなかった。私も初めて彼女の魔法を見た時はぞっとしたよ。当時は人間に憎しみを抱く魔女が大勢いて、"報復戦争"と呼ばれる闘争を起こして人類に敵対する者たちがいた。だが、ミラルダはそれらの魔女たちとも違い、ある妄念にとりつかれていた。何故彼女がそんな考えに囚われていたのかは、今でも理解できないがな。」 「それは、どんな考えですか?」  エルザは答えるまでに、少し間を置いた。渓谷の闇のなかには馬の蹄の音だけがゆっくりと響いていた。 「『人間の不死化』、そして、『不死者の王に治められた世界の創造』。ミラルダは死ぬ間際まで、そんな言葉を繰り返していたよ。」 「おい、話をぼかそうとするな。」  前を進むロザリィが肩越しに視線をよこした。 「ミラルダはただ死んだ訳じゃない。殺したんだよ、私たちがな。」  私はエルザを振り返った。  エルザは視線をそらすと、やはり暗い声で続けた。 「そうだ。私もロザリィも、死人占い師の討伐隊の一員だった。当時のミラルダは妄想に突き動かされるままに、人をさらっては不死人を造り出す人体実験に明け暮れていた。おまけに、彼女が作ろうとした不死人は失敗作ばかりだった。実験の過程で魂を抜かれた人間は亡者となって、他人の魂を奪うために人里を徘徊するようになっていった。しかもミラルダはその亡者たちを処分するどころか、武装して軍隊を作り上げた。彼女の理想である、不死人の国とやらを作るための尖兵としてな。」  エルザの話はおとぎ話にしか聞こえなかった。だが、先ほど実際に動く死体の集団を目の当たりにしたとあっては、遠い昔のことであっても、それが実際に起きた出来事なのだと認識するしかなかった。 「当時の魔女集会のメンバーは、ミラルダの凶行を看過するわけにはいかなくなった。ついにアストラエアから最後通牒を言い渡すための集会へミラルダを召還しようとしたが、彼女は抵抗するばかりか、私たちに襲いかかってきたんだ。そして、私は…」 エルザの話を引き継ぐようにロザリィが口を開いた。 「まったく、バカらしいにもほどがあるよな。私たちは同胞であるはずの魔女を何人もこの手にかけてきた。かつては共に人類を救済するために尽力した仲間をな。」 「ロザリィ!!」  突然、エルザが低い声でささやいた。  エルザの剣幕にロザリィは少しばかり驚いたようだった。 「なんだよ、私の言葉が何か感にさわったか?」 「そうじゃない、前を見てみろ。なにかがいるぞ。」 エルザの言うとおり、前方の闇の中から、獣の息づかいのような音が聞こえた。 ロザリィはゆっくりと馬から降りると、音の方へと近づいていった。ロザリィが闇の中に消えてしばらくたった後、彼女が呼ぶ声が聞こえた。 「なんのことはない、ただの馬車馬だ。乗り手はどこかに行ってしまったようだがな。」  ロザリィの言うとおり、渓谷の出口の付近に、馬が一頭だけつながれた荷馬車が乗り捨ててあった。  エルザとロザリィが御者席を調べている間、私は何とはなしに、少しだけ開いた幌の隙間から、荷室の中をのぞきこんだ。そのとき、荷室の中から、強烈な視線を感じた。私は金縛りにあったように体が動かなくなったが、なんとか声を出すことができた。 「誰か、います。」  すぐさまエルザとロザリィが荷室の両脇に立った。二人は視線で合図すると、幌を引き剥がして、荷室の中に向けて杖と剣を突きつけた。 「これは…棺か?」  ロザリィが怪訝そうに呟いた。狭い荷室の中には、大型の棺が積まれていた。先ほどの亡者たちのこともあり、このような場所に棺が置いてあること自体に私は背筋が寒くなる思いがした。 エルザが杖の灯りを、棺の表面に近づけた。ずいぶんと古いものだったが、漆で表面を塗り固めた頑丈な作りに、色褪せた金箔の装飾から、高貴な人間が眠っていることが予想できた。エルザはしばらく棺の表面を調べていたが、表面に刻まれた文字のようなものを見つけたとき、その表情が一変した。 「これはただの棺じゃない。これは…」  エルザの声が珍しく震えていた。 「この棺は魔女のものだ。しかも、」  そう言うと、棺の文字を読み上げた。 「神秘を司る者、ここに眠る その者の名を"死人占い師"または"ミラルダ"」  私は冷水を浴びせられたように背中が冷たくなるのを感じた。  エルザもしばらく言葉を失っていたようだが、おもむろに棺のふたに手を掛けると、いっきに解放した。棺のなかは空だった。 「どういうことだ、これは。何故魔女の棺がこんなところに放置されているんだ?しかも、ミラルダの棺なんて、これではまるで…」  ロザリィの声には動揺がにじんでいた。  エルザも唇を噛みながら、眉間に深いしわを寄せていた。 「ああ、この状況ではまるで、"死人占い師"が墓の中から甦ったみたいだな。」  ミラルダの物と思われる棺を焼いた後、私たち三人は渓谷を抜けた。大きく迂回するルートで街道へと合流すると、太陽が上りきった頃に小さな宿場町に入った。  朝早い時間だったが、私たちは開いている古い食堂の窓際のテーブルに身を落ち着けて朝食にありついた。  エルザもロザリィも食事を終えたあと、しばらく無言でお茶をすすっていたが、重い空気に耐えかねたのか、ロザリィはエール(麦酒)を注文した。 「朝からよく酒なんて飲めるな。」  呆れるエルザを横目で睨みながら、ロザリィは勢いよくエールをあおった。 「むしろ酒でも飲まないと気がまぎれねぇよ。まったく、妙な事件に首を突っ込んじまったもんだ。」 酒が入ると、ロザリィはさらに口が悪くなった。  エルザは小さく咳払いすると、周囲を眺めてから、小さな香瓶を取り出した。線香の先に火が灯ると、微かに甘い香りが漂った。  私の視線を気にしたのか、香瓶をテーブルの上に置きながらエルザが説明してくれた。 「これは人払いの香だ。こちらから話しかけない限り、周りの人間は私たちの会話を気に掛けることはない。ところでロザリィ、今回のセントオリーンズ襲撃について少し話をまとめさせてくれ。」 エルザは腕を組んで椅子の背もたれに身を預けた。 「昨日の夜、お前はセントオリーンズでの異変に気がついて、現場に急行した。そこで渡り烏に遭遇。交戦を開始した。そこまではいいな。」  ロザリィはジョッキを傾けながら肯定するように眉毛を上げてみせた。 「聞きそびれていたんだが、お前が戦ったという、複数の相手というのは、亡者のことか?」  ロザリィは口許の泡をぬぐった。 「まさか、私があんな木偶人形相手に遅れを取るとでも思うか?私が戦ったのはまぎれもなく渡り烏だったと思うぜ。坊やが言ってたとおり、妙な黒い仮面も被っていたしな。」  私は記憶の中の渡り烏の風貌を思い返していた。  カラスのような黒い羽のマントに、嘴を思わせる突起の生えた仮面は、異様という言葉以外では形容できなかった。 「なぁ、ロザリィ。私もラルフもこれまで渡り烏は単独犯という認識だったんだ。私の予想通り、やつが魔女だとすると、私たちは複数の魔女を相手取ることになるんだぞ。」 ロザリィは空のジョッキを置くと微かに紅潮した頬に手を添えた。 「渡り烏が単独か複数かを言う前に、あの棺について少し考えようぜ。"霊廟"に納められていたはずの魔女の棺があんな場所に放置されているなんて、それだけで異常事態だ。しかも、中に入っていたはずのミラルダの遺体は紛失、加えて亡者の群れの発生だ。どう考えても因果関係があるとしか思えないだろ。」 ロザリィは店員にエールの追加を注文した。 「何が言いたいんだ?」  ロザリィは大袈裟にため息をつくと、頬杖をついた。 「単純なことだろう。渡り烏の正体は"墓守りのミラルダ"だ。どうやって復活したかはわからないが、そうであれば亡者の発生もうなずける。」  そう言って、彼女は二杯目のエールをいっきに半分に減らすと、私たちに鋭い視線を向けた。酔っているようにも見えたが、ロザリィの目の中には強い光があった。  エルザは険しい表情でしばらくあごに手をあてていた。私はミラルダの棺から感じた不気味な視線のような感覚を思い出しながら、疑問を口にした。 「でも、ミラルダが渡り烏なら、何故自分の棺をあんなところに置いていったのでしょうか?」  ロザリィはじろりと私を睨み付けると、エールの残りを飲み干した。 「さあな。私たちに見せびらかしたかったんじゃないのか?死人占い師が復活したことをな。」  それを聞いてエルザが何かに気づいたように顔をあげた。 「そう、そのとおりだ、ロザリィ。だが、そう意図したのはミラルダじゃない。私たちにそう思わせたいのは、渡り烏本人だ。」  ロザリィも私も首を傾げた。  エルザはテーブルの上に身を乗り出した。 「考えてもみろ。今までの渡り烏は、襲った村の人間を一人残らず殺したり、仮面を被ったりと、自分の正体を隠そうとする節があった。だが、今回のセントオリーンズに関しては、村を焼くだけではなく、わざわざ亡者を作り出したり、魔女の棺を放置したりと、まるで自らの正体を追手に知らせようとしているようだ。」  エルザは私とロザリィを交互に眺めた。 「それに、渡り烏がミラルダだというのなら、村に火を放つことなどしないだろう。亡者は火に弱いからな。」  ロザリィはコツコツと爪の先でテーブルの上を叩いた。 「つまりこう言いたいのか?今回の件は、復活したミラルダと、渡り烏二人が共謀して行ったことだってな。」  エルザは首を左右に振った。 「いや、それだとやはり、棺があんなところに放置されていた理由がわからない。復活したのなら、わざわざ自分が入っていた棺を持って移動する理由もないだろう。」  ロザリィはイライラするようにエルザに顔を近づけた。 「なんだよ。結局お前はさっきから何が言いたいんだ?」  エルザは深いため息をついた。 「私の推測だと、あの棺と中身は渡り烏によって"果ての霊廟"から盗まれたんだ。そして、ミラルダの遺体は、あの場所で復活した。いや、復活させられた。」  ロザリィはエルザが言おうとしていることがわかったようだった。 「つまり、渡り烏とやらの能力は、、、」 「ああ、」  エルザは低い声で結論を告げた。 「やつは死んだ魔女の遺体を蘇生させる力を持っている可能性がある。」  しばらく重い沈黙が続いた。  私は冷めたお茶に口をつけながら、今一度渡り烏が恐ろしい相手なのだと思い知らされていた。 「そうだとしても、」  沈黙を破ったのはロザリィだった。 「復活したミラルダには、意思があるんじゃないのか?もしあの場に彼女がいたのなら、彼女を殺した私に恨み言のひとつでも言いそうなもんだろ。」  エルザはため息をついて再び椅子にもたれ掛かった。 「さあな。そもそも、魔女の蘇生ということ自体、私も聞いたことがない。人間を不死にする過程で生まれるものが亡者なのだとしたら、魔女が蘇生したものは、一体どんな存在なのだろうな。」  そのとき、ロザリィが何かに気づいたように顔をあげた。彼女の表情は酒が入っているとは思えないほどはりつめたものだった。 「どうしたんだ、ロザリィ?」 「十人だ。」 「…なんだと?」  ロザリィの肩は震えていた。 「"果ての霊廟"に眠る魔女の遺体の数だ。あそこには、"冠位の魔女"を含む、十人の遺体が安置されているはずだろう。」 「そうだが、それがいったい…」  エルザも何かに気がついたように目を見開いた。 「まさか、」 「ああ、おそらくな。」  ロザリィは鋭い視線で窓の外を眺めた。 「私が刃を交えた十人の渡り烏たち。やつらは全員、復活した魔女の遺体に違いない。」
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