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瘡蓋
今日はまっすぐ家に帰る気にもなれず、俺はひとり寂しく居酒屋に来ていた。
枝豆をつまみに酒を飲む。いつもより少しだけピッチが早く、酒には強い性質なのに酔いが回るのが早い。
というのも隣りに座るスーツ姿の客ふたりのどこか甘い雰囲気に少しだけイラっとしていたからだ。
いちゃつくならふたりっきりでやってろ!
ふんっと鼻息荒く酒を一気に煽る。
段々と目がすわっていく中、懐かしい声を聞いた。
「――――安藤……?」
「?」
声をかけてきたのは隣りに座るいちゃついていた片方の男で、あの人だった。
逆再生のように時が巻き戻り、あの頃の爽やかな笑顔の人と重なる。
「――――先……輩」
「あぁ、――元気だったか?」
笑うとちらりと見える八重歯。
あぁ、先輩だ。
――と、その隣には山城 仁の姿があった。
――あの時の……。
ぺこりと頭を下げる山城。
「ひとりか?」
「はい……」
「ちょっと……話をしてもいいか?」
「――どうぞ」
先輩との事は十年も前の事だ、断る理由もなかった。
神妙な顔をして先輩は絞り出すように言った。
「――あの時は……ごめん」
「……」
「お前を傷つけた。俺が悪かったんだ。俺が仁を選んだからっ」
「違います! 悪いのは僕です! 僕は豪さんの事が好きでっ、安藤さんと豪さんが付き合ってたの知っていながら誘惑したんです! 豪さんはダメだって言ったんですっ。安藤さんの事が好きだから僕とは付き合えないって……なのに僕がっ――!」
ストップとばかりに二人の前に両掌を出す。
「――ちょっと落ち着こうか……」
段々とエキサイトしていくふたりに周りに好奇の目で見られている事を視線で知らせた。
ふたりはぐっと黙り項垂れた。
あー俺の酔いもすっかり醒めたよ……。
苦笑してふたりを見つめる。
どうしたものか――。
*****
何を言っていいのか分からず困っているとしばらくの沈黙の後、先輩がゆっくりと口を開いた。
「本当にお前の事が好きだったんだ……。俺はあの後、俺たちがダメになったのを全て仁のせいにして仁の事責め立てた。仁は泣きながら何度もなんども謝って、それでも俺の事が好きだって言うんだ。俺、もうたまらなくて……。俺はお前を捨てて仁をとった。だから恨むなら俺だけにしてくれ、全部俺が悪かったんだ。殴ってくれてもいい。本当にすまなかった」
先輩を庇うように尚も自分が悪いと言い募ろうとする山城を先輩は目だけで制した。
そしてふたりは頷き合うと揃って深々と頭を下げた。
先輩は山城を守りたいんだ。山城もまた……。この謝罪も俺にすまないと思っている事も本当だろうけど、一番は山城の事を思っての事だ。
さっきの様子だと山城は俺から先輩を奪ってしまった事を今でも申し訳なく思っているに違いなかった。
あの時俺が逃げずに先輩と話をしていたら話は違っていたのかもしれないが、これでよかったのかもしれないと今なら思える。
俺は確かに先輩の事が好きだったけど、山城のように先輩の事を愛せたか分からない。
俺は頭を下げ続けるふたりに「許しません」と言った。
びくりと震えるふたりの肩。
そして続けて「幸せにならないと許しませんから」と言って笑った。
先輩と山城は驚いた顔で俺を見て、涙を流し「ありがとう」と言った。
このくらいの意地悪は許されるだろう。
俺はふたりと話した事で自分がやらなくてはいけない事が分かった。
山城がやった事は褒められた事じゃないけど、全力でぶつかる事はしないと『本気の恋』なんて手に入りっこない。
当時の俺には先輩への愛情も、勇気もぜんぜん足りていなかった。
だから山城に負けた。ただそれだけの事。
終わってしまった恋だけど、目の前のふたりを見ると正直羨ましい。
悔しいからふたりには絶対に幸せになってもらわないと困る。
幸せそうに笑い合うふたりを見て改めてそう思った。
過去にできてしまった心の傷。
時間の経過で瘡蓋にはなったけど、瘡蓋の下でジクジクといつまでも痛み続けていた。
だけど今日、ふたりと話す事ができて勢い良く剥がした瘡蓋の下は案外綺麗で、もう血も出ないし痛みもなかった。
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