彼女は俺のように自分に甘えるような人じゃないから。 それが、たまらなく辛くて。そして、俺だけを見て欲しいと願った。

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夜勤明けの午前五時。改札を出た瞬間。 ギャッと悲鳴が聞こえた。 かと、思ったのもつかの間。 大きな音と地響きがして 駅東口の牛丼屋にトラックが突っ込んだ。 現場は見通しのいい交差点で、残り三方が広々としたコインパーキングが面している。 つまり、よほどの馬鹿か故意でない限り、一軒家をクリティカルヒットするはずはないのだ。 わらわらと野次馬が集まってきてスマホで生中継したり、写真を撮っている。 さっさと通報しろよ。 「世も末だな」 俺は地下道を抜けて駅の反対側に出た。まもなく東口の方がぱあっとオレンジ色に染まった。 「やっべ」 俺が慌てて地面に伏せると、ズシンと地面が揺れた。 トラックの積み荷は結構ヤバい品目だったらしく、引火したのだ。 黒煙で青空が見えない。俺は予約してあった満喫に飛び込んでソファーで爆睡した。 こうなることは今朝からわかっていたからだ。 世の中、異世界があふれてる。 「奴隷幼女と一緒に王道を駆け抜けてみませんか? 生涯常勝を約束します」 安っぽい言説が俺の安眠を妨害する。 うるせえ。こちとら18時間連続勤務明けで、おまけに夕方から徹夜のシフトが待っているんだ。 「絶世の美少女に転生して優雅な逆ハーレム三昧はいかが。体験したことのない美が貴方の潜在的な美学を」 抜けるようなソプラノが俺の神経を逆なでする。 うるせえったら、うるせえ。ぶっ殺すぞ、マジで。 疲労困憊した男の安眠を妨害したら死が待っている、と元カレから学ばなかったのか。 「すみません。彼氏いないまま死んだんです。コンビニの帰りにトラックが」 手垢にまみれたテンプレは聞かなかったことにする。トラック以外の死因は無いのかよ。例えば陸自の戦車に轢かれるとか。 「あっ、異世界征服するやつですね。あたし、あれの放映が始まる前に」 興味ねーよ。だいたい、俺は異世界転生が大嫌いなんだ。死んで花実を咲かせようって「逃げ」の精神が気に入らない。 「わかります。でも、お先真っ暗な現代じゃ立ち枯れるままですよ。2040年には国民の三人に一人が高齢者です。その頃には異世界も満杯で」 セールストーク下手だな。不安を煽るやり方は流行らない。今どきは意識高い系商法だ。 「えっ、関口リーダーの知り合いですか?」 誰だよ。 聞いたこともない名前を出されて、俺は身を起こした。もしかしたら、記憶違いかもしれないからだ。 テーブルの対面(といめん)にはパンツ丸出しの少女が腰かけている。目鼻立ちはグラビアアイドルを十回殴って拒食症にしたような感じで地雷臭がプンプンする。 「ていうか、その読心術やめてくんねーか。俺が寿命と引き換えに霊感を得てることは知ってるだろ」 「あっ、すみませんでした」 女はようやく自前の声帯を震わせた。 「お前がこの世の者でない事は言わずもがなだ。とっとと他をあたってくれないか」 けんもほろろに追い返そうとすると、彼女はテーブルを濡らした。やれやれ、今度は泣き落としか。 「転生してくれないとあたし死んじゃうんです」 「死んでるじゃねーか!」 「いえ、そうなじゃくて本当に死んでしまうんです」 「死に偽物もくそもあるか」 「あるんです。それが」 地雷女は突然、声を低くした。その形相は怪談を呟く芸人そっくりだ。ご丁寧におどろおどろしいBGMつきだ。 彼女が言うには、自分はトラックに轢かれて以来、異世界転生(リブート)コーディネーターをやっている。平たく言えば死神だ。 一人轢かれるたびにライフが貰える。それが尽きれば容赦なく消滅させられてしまう。しかし、地道にやっていれば最低でも日に十人は轢かれるので困ることはないらしい。 「いつまでも雇われじゃ先がないだろう」 俺は「日当一万ライフ、なんやかんや諸経費を差し引いて手取り三千ライフ」という彼女の待遇に転生ビジネスの闇を見た。 「でもでもっ! 独立した先輩が大勢いるんです。関口リーダーもその一人なんですよ」 彼女は目を輝かせた。 「誰だよ」 聞けば、彼女たちは熱気あふれるリーダーのもとで結束しているという。報酬は出来高制で、人が死ねば死ぬほど取り分が増える仕組みらしい。 関口氏もその一人で今では20柱ちかい死神をまとめているやり手だそうな。 「怖い人です。ノルマをこなせない人のライフを没収するんです」 「おいおい、日当という話はウソかよ」 典型的なブラックだ。異世界転生は労基の管轄外だから、どうすることもできない。 「コンスタントに轢かれる人がいれば日当を出せるようになるって言ってました」 俺が同じ立場だったらさっさと来世をスタートさせている。神様のままでいればいつまでも生きていけるだろうが、限られた人生でしかできないこともある。 「そこまでしてしがみつく魅力は何なんだ?」 彼女はぱあっと明るい表情で言った。 「だって、夢はぜったいにかなうんです!」 何だか可哀想になってきた。 俺はつい説教モードに入った。いくら夢魔(サキュバス)だか死神だか知らないが世間知らずの田舎娘を死んでまで阿漕にこき使うとは許しがたい。 かてて加えて引っかかる方もどうかしている。確かに成功報酬型のビジネスは大成功もあるだろう。だがそこに至る道は果てしなく遠くて過酷で養分となるべき屍で舗装されている。 いい大人なんだから少しは気づけよ。 「死ぬ直前で思い立つとか、そう言う話はないのか」 「言われてみればそうです。何にも思い立つわけなんてありません」 「俺もそうなのかな」 「はい。何だか夢をかなえることは得意なんですけども、どうやって思い立つんだろ」 それは人生の中で俺が一番よく知っている課題だった。俺は今、死ぬ直前だからだ。なんとかミクスの乱相場で出した追認金の返済のため死に物狂いで頑張っている。 このカモ女とは真逆の人間だ。だから心にもない言葉を言ってみた。毒には毒を以て毒を制すだ。 「俺も死のう」 すると、彼女の表情は…だめだ。思いだ出ない。 その瞬間から記憶が飛んでいる。 ◇ ◇ ◇ どんよりとした意識に激痛の芯がある。寝酒が効きすぎたらしい。それにここんとこ夜勤続きだ。仮眠すべき時間にデリバリーの隙間仕事を入れたのも体調不良の原因だ。やらなきゃよかった。 眩暈と吐き気とアルコールの口臭がきつい。 無意識のうちに口走った。死にたい。 「え――」 彼女は絶句した。 「……どうしてですか?」 「それは、俺は――」 「あー、もう! 何しに来たの」 俺は彼女の腕をがっしり引き寄せ、ベッド脇で彼女の膝上の上にとめた。 「何だか悪い夢を見たんだな」 「え? 本当ですか。本当ですけど」 その後、俺は彼女の顔を見上げた。 「もういいよ。どうせ死ぬときはきっとわかる」 「何でまた」 「どうせ死ぬなら夢をかなえるんだろ」 「うん、そういうことにしよう」 彼女は何だかわからない顔でうなずいた。それから、 「じゃあ、ちょっとお茶でも、淹れてきますね」 「わかった。あと、一つだけ聞かせておくれ」 「はい!」 俺は「何ですか」と、問うた。それが聞きたくて仕方なかったのだ。彼女は真剣な表情で答えた。 「関口さんは……何でも相談できるよねえ」 「えって、それは……」 「何となく、それはわかる気がするんだ」 「どういうこと?」 俺は頭が痛くなるようなことを聞いた気がした。 「……やっぱり、お金とかじゃない。自分に何がしてあげれば良かったかは、わからなかったんだ。何だか、わからないけど、生きてるんだよ」 「……やっぱり何も思い付かなかったのよ」 彼女はぼそぼそと言った。それでも、俺は彼女の気持ちを理解してやりたいと思った。彼女の気持ちはどんなものだったのか知りたいわけではなかったが。 「……だから、これはきっと何かの形でするんじゃ……」 そう言って彼女は立ち上がって、俺に向かって言った。 「大丈夫。きっと、何か方法があるわ」 「そうかなあ。……それとも、俺に、これ以上何か言う必要があるのかな?それなら、言ってくれよ」 俺は不安を感じたが、彼女はやっぱり俺の味方だった。 「ありがとう」 「ねえ、本当に大丈夫?」 「ああ、何ともないよ」 「無理はしないで。何かさせて?」 「わかってるよ」と、俺は頭を抱えた。今の俺には、何も出来ない。どうしようもない自分がいる。 (俺は何としても、自分の行動だけは隠したい。その気持ちは、絶対的に伝えたい。だから、これ以上は……、いや、これ以上になると、俺はどうしようもない) しかし、俺は自分の行動も、もうどうしようもなかった。 「……もう、ここに来ない方がいいなあ」 俺は深いため息をついた。 「……また来るってさ」 「ああ、来ない方がいいよ」 「来ちゃったね、本当は」と彼女は小さな声で言う。 「でも、本当のことだから。誰にも言わない方がいいわ」 「そうなのかな」 「ええ……、今言ったことだけだと誰かに聞かれるかしら?」 「うーん。まあ、少しはね」 「そう……」 俺は彼女の気持ちに気付いていながら、そのことから目を逸らした。 「それじゃあ、行くか」 「うん、ありがとう。もう、どこにもいかないってば」 「ありがとう」 そう言って部屋を出て行こうとした彼女。しかし、彼女はドアを閉めようとした瞬間俺の腕を掴んだ。 「どこにも行かないでよ」 「どうしてさ」 「……来ちゃったものはするがままだよ」 「来なくていいって言ってるでしょ」 「来るって言われても、俺、来ちゃうよ」 「来ない! ってことは、来た事に気付いてないって言う事だから来ると思ってる。それを分け与えようとしてるみたい」 「 ◇ ◇ ◇ 分け与えちゃったら、それはもう彼女の物だ」 「でも……」 「俺はいつも君の前で喜びを見せて欲しいって思ってるでしょ。だから、君の前では甘えてみたいんだ」 「うーん」 「ねえ、彼女の前じゃ甘えさせてあげて」 こんな自分勝手なことを言うのはどんな男なのか、俺には分からない。 「分かんない。だから、俺はあんまりにも君の幸せを願ってるのかもしれない」 「え、そ、そんなこと……」 「……だって、そうだろう? もう、彼女がいなくてもいいじゃないか。彼女の前でも喜びを忘れないよ」 「そ……そう、だね。うん、でも、それには答えられないよ」 「なんで?」 「だって、君は彼女の幸せを願ってる……、そう、思ってる」 「どうして……?」 「……君が特別だからさ」 俺は自分の顔に手を当てる。 そうして、少し笑った。 「……君も、特別だもんね」 俺はいつも、彼女しか見れない。 それがもどかしくて、ちょっとだけ切なくて、でも、それを隠すかのように彼女にしか甘えられなかったな。 それは、きっと過去の話だろうって最初は思っていた。 でも、自分ではそれについて行けなかったと思う。 彼女は俺のように自分に甘えるような人じゃないから。 それが、たまらなく辛くて。そして、俺だけを見て欲しいと願った。 それは、本当に彼女の為に……。 それが、嬉しくて。 そんな彼女に、俺も、俺で良いから、俺の願いを叶えて欲しかった。 ◇ ◇ ◇ また記憶の断片が俺をさいなむ。 女ものの枕カバーに頭を沈め韓流俳優に上から目線で囲まれる。実に居心地が悪い。 だから、つい考えてしまう。 彼女には俺は見えないと。俺は彼女には存在してないって。 「……やっぱり、君も特別なんだよ。俺の考えてること、君と同じじゃなくても分かるんじゃないかな」 「……うん」 「彼女といる時はそうじゃなくても、彼女の事をよく考えられてる。そういう君を見ていて、俺も安心出来た」 「……うん」 「俺は、それが特別になれてないのも事実。これはあんまり俺の中で整理できてない部分もあるから、君と、もっと見れたらと思うんだ。もしくは今日は彼女に付き合わせてもいいから」 「うーん……でも……」 「いいから、いいから」 「あ……ありがとう……」 「また、相談に乗ってくれる? 今はまだ早いけど、いつかちゃんとお礼に……」 「うん! そうする……」 「……これから、よろしく! お姉ちゃん!」 「……うん!」 なんだかこんなことしか言えなくて、恥ずかしい。 だけど、こんなにお姉ちゃんって呼んだのは、久しぶりだ。 「じゃあ、これからよろしくね」 「……うん」 「うんじゃないって。何でそこで少しだけ笑うんだよ」 「笑わなくていいよ、ほら。これは俺のプライベートだからさ」 「……うん。そう言われると、何でも嬉しいよ」 「お前、ほんと何したらそんな言い方するんだ?」 「……俺は……ただ……お姉ちゃんに……俺の『片思い』の相手して欲しい……かな……」 「……」 「……お姉ちゃん?」 「……」 ハッと気づくとテーブルに手紙ときちんと畳まれたスーツが置かれていた。そして千円札が数枚と求人誌。 つくづくバカな奴だと思う。サキュバスに恋するなんて、それもつかず離れず、ずるずるべったりの関係になるなんて、そして運と寿命を少しずつ吸われつつも、家庭事情でその女と義姉弟の関係になるなんて。 しかも義姉に代償行為を求めるなんて、俺ってどうしようもない屑だ。それに比べて義姉はやっぱり「お姉ちゃん」だ。しっかりしている。 亡くなった妹を夢魔として認識し紐同然のいわば金銭吸血鬼となった俺を支援してくれる。 こうなることも、これから先どうなるかもわかっている。 睡魔の代わりに彼女が来る。そして俺の半径十メートル以内に災厄をもたらす。 俺はネクタイを締め、履歴書をもういちど点検した。 そして鞄にしまい玄関を出る。 振り返ると「関口」の表札が見送てくれていた。
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