第一部:猫田編

3/6
前へ
/113ページ
次へ
 土曜日の報国寺は混雑していた。何とか駐車場に車を止められた。  拝観料を支払い、ついでにお抹茶チケットも購入する。  報国寺には茶寮があるのだ。  入口から進むと、すぐに竹林が私たちを出迎えてくれた。 数百本の竹が、地面から天へ届けと一斉に手を伸ばしている。幹は風をうけて前後左右に揺さぶられ遊ばれている。  しなやかな幹は反動を使い、何事もなかったようにきちんと戻ってくる。細くてもぐっと背を伸ばし凛としている竹に、私は生命力を強く感じるのだ。 「竹が生えてるだけなのに圧倒されるな。さすが名物寺だなあ。  佐知ちゃんと一緒にいると、こうしょうな趣味を教えてもらえるから、 俺もだんだん賢くなっていく気がするぜ」  日に焼けた肌だからだろうか、猫田が笑うと白いきれいな歯が見えた。 そうね頑張って成長しようね、と私は幼子に向けるような笑顔で返した。  時折、竹がぶつかり合う音が聞こえる。  軽く乾いた『中身は空っぽでーす』という音、なぜか私は好きだった。 「癒されるわね」 自然と口から出る感想だ。私の横を歩く猫田も腕を組み、天を見上げていた。 「地震がきたら竹林に逃げろってじいちゃんが言ってたな。  地に根を広く張ってるんだろう。  幹は細いがよくしなって、折れることはない。  男としてうらやましい限りだな」  うまいこと言ったという顔で私を覗いてくる。前半はよかったのに、下ネタでおとすとは、さすが猫田。  しかし、その場の雰囲気を壊さない発言を学んでほしい私はしつけも怠らない。 「神聖な場所では下ネタは禁止です。趣を感じ取りましょう」  そういうと猫田の急所である脇を突いた。猫田が、いやんと遊びだしたので、私たちはさっさと茶寮に移動することにした。  茶寮は竹林の端にこじんまりとたたずんでおり、幸い混雑はなかった。すぐに席に案内された。  座席の目の前に広がる静寂の竹林。なんとすてきな情景なのか。  さっそく落雁とお抹茶が運ばれてきた。この寺の開基は足利家時だ。 落雁にはその足利氏の家紋「引両紋」がかたどられている。 私はもったいないと、少しずつ丁寧に頂く。  休日の神社仏閣周りを猫田と始めてしばらく経った。ようやく猫田も、場の雰囲気に合わせて存在することができてきた。私のペースに合わせて、猫田も口に運ぶことができている。  バカでも教育すればきちんとしみこむのだ。  私は抹茶を半分飲み干し、椀をコトリと置いた。  目を閉じ、そのほかの感覚器で竹林を感じ取る。  竹のぶつかる乾いた音、笹がサワサワ騒ぐ音。頬を撫でるそよぐ風。  その中にちょろちょろっと水が流れる音が聞こえた。岩の間から湧いた水が集まって流れる音だろうか。  平日の労働で疲労した心身を癒す音だ。  猫田よ、これが贅沢な大人の休日なのだよ、と私は微笑んだ。 しかし猫田は手を膝の上に乗せ、じーっと真剣に前を見ている。 「ちょろちょろ……。なんだか、しょんべんに行きたくなる音だな。  ちょっとトイレ行ってくるわ」 と股間あたりを抑え、小走りで行ってしまった。  ああ、と私は半目になり見送った。  大人の休日を満喫するには、まだまだ鍛錬が必要そうな猫田であった。
/113ページ

最初のコメントを投稿しよう!

205人が本棚に入れています
本棚に追加