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黄金色の放射はわざとらしく、淡々と世界を描き上げる。
その隅っこの病院。個室の病室に白髪の老婆が1人。窓の外、遠く踊る乱反射に眼を細める。
町の外れ、湖の淵に立つ病院は、古くはサナトリウムとして使われた建屋だが、改装されてハリボテの別荘と言った風に佇んでいる。
朝には湖の向こうに日は登り、直射と湖面の反射でむせ返るほどの光量を浴びせる。
老婆は少し眼を瞑ると再び手元の小説に視線を落とす。
「何回読むのって?好きなのよ、ここの主人公のセリフ。それに今日はやっぱり落ち着かないのよ。」
つぶやく先には病室には場違いな無機質な装置が鎮座する。
チタン製の枠組みに強化プラスチックの透明な円柱。
中身の液体は春の陽射しを受けて、木製の床に黄緑の影を揺らす。
中には青年が穏やかな表情で浮かぶ。老婆の婚約者だ。
50年前。2人は契りを交わした。
愛しあい、双方の両親に歓迎され、何の障害も疑いもなく、2人は結婚の約束をした。
---膵臓の癌。転移しています。余命3ヶ月といったところでしょうか。
幸せな未来を約束された男に与えられた運命はひどく残酷なものだった。
彼女は悲嘆に暮れるしかなかった。彼は絶望を吐露するでもなく、ただ毎日謝意を伝え、愛していると微笑むのだった。そんな姿は彼女をさらに苦しめた。終焉が近づくに伴って愛が深まっていく絶望に耐えられなかったのだ。
「私も死ぬわ。向こうで式を挙げましょう。」
そう言っては彼の苦い顔を見るのだった。
そんなある日彼は一枚のパンフレットを持ってきた。
"Cold Sleep"
英語の説明文は読めなかったが1番上にはこう書かれていた。
「最後のわがままを聞いてもらいたい。老いていく君を愛したい。凍ったまま少し眠るから、50年後の今日、君の微笑みで起こして欲しい。そして結婚しよう。」
彼女は戸惑ったが、彼とこの先の人生を歩む手段がそれしか無いのだから頷く他なかった。
50年経てば癌の治療も見つかるかもしれない。そんな期待もあった。
それから月日は錆びた歯車のように過ぎていった。
彼女はプログラミングを懸命に勉強して仕事を得た。在宅で生計を立てれば、彼と一緒に過ごせる。その想いが彼女を支えた。
忙殺される中でもふと見ると彼はいつでも穏やかに微笑んでいた。
月に一回、不凍液を入れ替える度に残りの年数を想う日々。それは哀しみの最中にいるはずなのに満たされているような感覚を抱かせた。
そうやって果てしない婚約期間を一歩一歩踏みしめていた彼女をさらなる悲劇が見舞ったのは3年前のことだった。
---膵臓に癌があります。周囲に進展していて手術はできません。抗癌剤の治療をすれば少しでも病気を止めることができます。あと1年と言ったところでしょうか。
彼女は膝から崩れ落ちた。皮肉にも彼と同じ病を患ったのだ。特に最後の一言は彼女の胸を貫いた。
「あと3年、あと3年死ぬわけにはいかないんです。約束があるんです。私なんでもします。何としてでも生きます。」
そんな3年、渇望した3年は楽な日々ではなかった。吐き通しの日もあったし、下痢が続いて倒れる日もあった。50年というなんの根拠もなく決めた年数を恨む時もあった。
途中で睡眠を解くこともできるのだが、彼女はそれをしなかった。彼に与えられた50年を生き抜くこと、それが彼女にとっての献身、老いた彼女に灯る恋慕となっていた。
その献身に下支えされた痛みなら彼女は受け入れることができたのである。
そうやって、医者から奇跡とさえ言われた3年間は過ぎ去るのだった。
そして、黄金色の放射はわざとらしく、淡々と世界を描き上げる。
日々の業務をこなしてるだけだと太陽は言うが、どうみても世界の隅っこ、この病室を照らしているようだった。
不意に窓から風が入ると、小説のページを序章へと戻した。
10時28分。彼女は小説を置き、立ち上がると装置のボタンに手を伸ばした。
re-warming
待ち焦がれてきたこの瞬間だが、ボタンに触れた瞬間に涙が溢れてきた。
ひどく複雑な感情はとても名状しがたく、彼女は困惑した。
太陽が羊雲に隠れる。反射が薄らいだ容器の向こうで彼が微笑む。
彼女はボタンを押せず、手を離した。
献身と背徳の間で彼女は引き裂かれる想いだった。
気付かないようにはしていたつもりだった。
彼女が抱いた圧倒的な愛情、それは"冷たい彼"に対してだった。
物言わず、微笑み、彼女の喜びや哀しみ、痛みや葛藤を50年見守った容器の中の彼を愛してしまったのだ。
「さようなら、これからもそばに居て」
彼女は装置から離れると不凍液の準備へと取り掛かるのだった。
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