マキタ

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マキタ

なんで悪い事ってこう続くんだろうか。 その一週間後、俺は夜の街をイライラしながら歩いていた。 さっさと家で寝たかったが、まだ姉ちゃんが帰ってきてない可能性がある。 あの親父と二人きりになるのは絶対にごめんだ。 俺は仕方なく、遠回りしながらゆっくりと歩いた。 今日のバイトも散々だった。 俺が少し早くバイトの控え室に入ると、居酒屋の同僚が俺の話をしていた。 「正直ちょっと汚いよね」 「男なのか女なのかわかんなくてきめえ」 とかなんとか。 俺が大きな音を鳴らして扉を開けたら、全員気まずそうに黙ってた。 正面から文句言えない奴なんて、 文句言うことで仲良いフインキ出してる弱虫どもだ。 だけど俺は仕事の最後、誰もいなくなったときに店長に 「今日でもうやめます」と言って出てきた。 今は新年会で忙しい時期で、人が足りなくてやばいって言われたけど知るか。 ざまあみろ。 これであいつらもすっきりするだろう。 「おい」 はっとして顔を上げると、マキタがいた。 シャツにフリースっぽい服を一枚だけ着てる。 スポーツ刈りの頭と相まって見てるだけで寒い。 「マキタ。どうしたんだよ」 「給料もらいに行った帰り」 俺たちは並んで、同じ方向に歩いた。マキタがぼそりと言った。 「店やめたのか」 「ああ。……悪い」 「べつに」 俺はちょっとばつが悪くなる。 マキタに「残った飯持ち帰れるから」って紹介して貰って入った店だったからだ。 俺たちは黙って歩いた。こういうとき、マキタほど一緒にいるのに良い奴はいない。 何も聞かないでいてくれるからだ。 夜の繁華街をずっと黙って歩いてると、俺はだんだん落ち着いてきた。 「ありがとな」 「なにが」 おれは苦笑し、商店街を一本入った交差点でマキタと別れようと手を上げた。 しかし、またな、と言いかけたその時、ドッと鈍い音がして、マキタが急に消えた。 ちがう。前に倒れた。俺は驚いてマキタの側に跪いた。 はははぁ、と後ろから耳障りな笑い声が聞こえて振り向くと、 見るからにガラの悪そうな連中が数人、こちらををニヤニヤしながら見ている。 俺は心臓がバクバク言うのをこらえながら、相手を睨んだ。 「何だよおまえら」 俺はできるだけ低い声で言った。するとその中の一人、オールバックの男がしゃがみ込んで言った。 「そいつ、赤城の犬だろ」 「犬じゃねえ」 「この辺で薬売りさばいてるのにか? 何度か忠告したはずだぜ。ここらへんは太田組の島なんだよ」 おれは唇を噛んだ。ほらな。 やっぱりやっかいごとに巻き込まれた。 マキタもゆっくりと身体を起こした。 額と鼻の頭が擦れて、血がにじんでいる。俺は言った。 「そんなの知らねえ」 俺がそう言うと、男はかかかとと笑った。 「それで許されるとでも思ってんのか?知らなかったら何でもしていーんか?」 次の瞬間、マキタは胴体を蹴られた。 衝撃でどう、と地面に倒れ込む。 そのまま続けて数人に蹴られる。俺は後ろから腕を捕まれた。 「マキタ!」 俺が叫ぶと、オールバックの男がちらりとこっちを見た。 「なんだおまえ、女か?」 おれはその目にゾッとした。女という物体に対してなら何しても良いと思ってる奴の目だった。 「おい、たしかめてみろ」 ダウンのジッパーが下ろされる。男が俺の懐に手を入れた。 「おい、やめろ」 嫌悪感がせり上がってきて吐きそうになる。 暴れて手足を振り回すと、右頬を張られた。男がははっと笑いながら言う。 「こいつ胸ありますよ」 「マジか」 男が代わる代わる俺の胸をまさぐる。 なんだこれ。なんなんだこれ? 俺は絶望的な、それでいて半分他人事みたいな気持ちで今行われていることを見ていた。 人ってわけわかんねえひどすぎることが起きると、半分幽体離脱みたいになんだなるらしい。 鼻の奥から生暖かい液体が流れ出る感触がした。 それはそのまま喉の奥に血の味となって広がる。その感覚だけが生々しく感じられた。 その時だった。 横でガッと音がして、同時にうめき声が聞こえた。 ぼうっとした頭でそっちの方を見ると、 マキタを取り囲んでた男数人がそれぞれ呻いたり血を流したりしながら転がってた。 マキタがやったらしい。 マキタはおもむろに腹から何かを出した。 タオルにぐるぐる巻きにされた、平べったい棒みたいなもの。 それを見たとき、俺の全身の皮膚がぞわりと波打った。 やばい。いまもやばいけど、もっとやばい。 マキタがそのタオルをぱっと剥がして捨てる。 それを見て全員が一歩後ずさった。 マキタの手が握りしめていたのは出刃包丁だった。 * マキタは包丁を持ってスタスタと近づいてくる。 目がめっちゃデカく見開かれていて、映画で見た『悪魔に取り憑かれた子供』みたいだ。 俺はこういうマキタを知っていた。 小学4年生の頃だ。マキタの両親が離婚して、今の父親と結婚する前。 同じクラスのいじめっ子が、マキタが毎日おんなじ服着てるって言っていちゃもんつけ始めた。 しばらくはマキタも黙ってたんだけど、服がくせえから学校来るなって突き飛ばされて、 机に頭ぶつけた瞬間、スイッチが入ってマキタはそいつを椅子で殴ろうとした。 その時はクラスメイトや先生が必死で止め、相手もビビってこけて擦り傷を負ったくらいで済んだ。 でも今日は俺一人だ。 俺はとにかく叫んだ。 「おいやめろ!」 マキタは俺の声なんて聞こえないみたいにずんずん近づいてくる。 俺を押さえつけてた男が情けない声を上げながら手を離し、逃げようとして転んだ。マキタは転んだ男に向かって包丁を振り上げた。 「マキタ!」 ズボッと布に穴が開く音。 見ると男がとっさに抱えた俺のバッグに大穴が開いていた。 男は失禁していた。 俺はマキタに駆け寄ろうとしたが、また腕を捕まれバランスを崩す。 「動くな!」 振り向くと、さっきのオールバックの男だった。 俺の首に小さいナイフをかざしている。 「狂ったガキだぜ。おい!はやくそれ捨てろ」 マキタは見開いた目で、男をじーっと見つめていた。 「おら!早く捨てろよ!これが見えねえのか」 男が叫ぶ。 声が震えてる。 それでもマキタはじーっとこっちを見るだけだ。 それどころか、マキタはゆっくりとこっちに近寄ってきた。 おれは動物園の虎を連想した。 動物園なんてろくに行ったことねーけど。 俺を抑えてる男の手足が震えだした。 「おい!こっち来んなよ!これが見えるだろ⁉」 ナイフの刃が俺の首に食い込む。 それでもマキタは止まんねえ。 俺は呟く。 「……ろ」 「あ?」 「逃げろつってんだよ‼」 俺は後ろでて男の金玉を思い切り握った。 男は声にならない声を上げてもんどり打った。 俺は男の手をほどき、マキタの包丁を持ってない方の腕を掴んで、 全速力で走り出した。 後ろから「おい!」とか「覚えてろよ‼」とかいう声がした。 でもみんな数メートル追いかけただけで、しばらく走ると誰もついてこなくなった。 俺は走った。 何度か道を折れ、端を渡った。 そのまま川沿いの道路にずるずると座り込み、げほげほとむせる。 喉が灼けるように熱くて痛い。 冷たい風を吸い込むと面白いくらいにむせた。 もう走れねえと思いながら座っていると、マキタが今来た方に向かって歩き出した。俺は顔を思いきりしかめた。 「おい!どこ行くんだよ!」 「戻る」 「バカ、捕まりたいのかよ」 マキタは黙って歩き続ける。 俺はくたくたの身体をなんとか起こしてマキタを追いかけた。 俺は何度も、おい、と声をかけたがマキタの歩調は一向に緩まない。 俺は舌打ちした。俺はよろよろ進みながらマキタに声をかけ続ける。 「おまえ、親父みたいになりたいのかよ‼」 マキタは歩き続けていたが、歩幅はだんだんと小さくなり、やがて止まった。 俺も咳き込みながら立ち止まる。 マキタは何も言わず、アスファルトの道の上でたたずんでいた。 俺はマキタが握りしめてた包丁を受け取り、残った力を振り絞ってそれをボチャンと川に投げた。 俺たちは黙って家への道を歩いた。 全く帰りたくはないが、風がびゅーびゅー吹いてて、クソ寒くて死にそうだからしかたなかった。 吐いた息がすぐ流れ、消えていく。 歯が全然かみ合わず、カチカチと鳴り続けた。 俺は後ろを歩いてるマキタにおい、と声をかけた。 「包丁どっから持ってきたんだよ」 「バイト先」 やっぱな。 「つかなんであんなもん持ち歩いてたんだ」 マキタは数秒間を開けてから答えた。 「あぶねえから」 危ねえのはおまえだよ。 「もうやめろよな」俺はそれだけ言った。 さっきは助けて貰ったから、偉そうなことは言えねえ。 あれ?でもこの場合俺が巻き込まれただけか。 寒くて足先の感覚がなくなってくる。 おれは手をポケットの中でこすった。 「なあ、みよちゃんは元気?」 みよちゃんはマキタの中三の妹だ。けっこうかわいい。 寒さをごまかすために適当に振った話題だったが、マキタから帰ってきたのは大分予想外の答えだった。 「子供できた」 「は?」 「でも流産した。先月」 「なんだよそれ。相手誰だよ」 「友達の部活のOBだって」 「家族は知ってたのか?」 「俺以外の奴は知らねー。俺にしか話せないって。 でも産む気だった」 俺はなんて言っていいかわからなかった。 なんかやけに明るいと思ったら、満月がでっかい電灯みたいにそこら中に光を注いでる。 川の音がざざざと聞こえて、強い向かい風が顔に強く当たっている。 「でも、流産したって聞いたとき、 俺はよかったって思った。 だって金もねえし、産んでも誰も育てられねえ」 マキタはしきりに鼻をすすった。 俺はマキタの方を向いて良いのかわからなかった。 俺達は黙って、河原の脇に立ち並ぶ小さい工場を横目に見ながら歩き続けた。
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