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再会
電車の空いた席にどさりと腰を下ろすと、
花びらがはらはらと電車の床に落ちた。
俺は心の中で舌打ちする。
花を持ち歩くのがこんなにやっかいなことだとは思ってもみなかった。
気をつけないとすぐぶつかって、ぶわんとたわむ。
こんな大きな花束を買うのは初めてだ。
ふわふわしてるから余計かさばる。
花束の入った紙袋を足の間に入れて座ってると、隣の車両から爺さんが入ってきた。
俺は席を立った。
爺さんはこちらをちらりと見、どうも、と言って席に座る。
おれは大きな紙袋をガサガサ言わせながら、そのまま電車のドアの前に立った。
窓からは大きな空と川が見えた。
おれは押し寄せる光量に目を細めた。
五月というのは光に溢れすぎてる。
トンネルに入ると、流れてく風景のなかに自分の姿が映った。
俺は一つ一つ確認するように、その姿をジッと見つめる。
メッシュみたいな白黒の髪。
化粧気の無い肌。
トップスは白い綿のカットソーに、濃いグレーのジャケット。
ボトムスはベージュのチノパン。
いちお俺にしては結構きちんとした格好だけど、
ほんとにこれでいいのかちょっと心配になる。
でも、こんな俺を見たら、彼女は驚くだろう。
当時、髪は金髪でぼっさぼさだったし、
靴だってぐっちゃぐちゃの泥だらけの穴の空いたスニーカーだった。
今は、服は未だに安もんだけど、ちゃんと洗濯してるし、これなんて一応ジャケットだぜ。
なかなか似合うなとか言うのかな。
あ、でもどうだろ。柄じゃねえって変な顔するかな。
そう考えてると、自然と彼女の声が頭ん中で再生された。
『それは君』
彼女のことは、たまにしか思い出さなかったのに、
声なんて一七年前に聞いたきりなのに、ちょっと癖のあるMの発音までしっかり聞こえる気がする。
『外見は確かに有力なコミュニケーションツールの1つとなりうる。
しかし、見た目の印象のみを取り上げて、
その人間の人格まで推し量るというのは、
愚直な行為と言わざるを得ないよ』
あれ?こんな漢語多かったっけ?
まあいい。俺は頭ん中で、イメージの彼女との会話を試みた。
『そりゃそうかも知れねえけどさ。
でも昔より頭良さそうに見えっだろ』
そうするとイメージの彼女はちょっと笑って――――
形の良いまっすぐな眉を持ち上げる。
『君は元々賢い。
だからあえてそれを外見で見せる必要などないはずだ。
しかし―――似合っていないこともないな』
駅のアナウンスが聞こえて、俺は目を覚ました。
やべ、立ったまま半分寝てた。
昨日ほとんど寝てねえから仕方ねえな。
焦って行き先を表示する電光掲示板をのぞき込むと、
まだ目的地まで三〇分半分以上あった。
俺はほっとして、再び空いた席に座った。
窓の外を見ると、光の降り注ぐ田園の風景がどこまでも広がっている。
おれはふわあとあくびをした。
おれは座席に深く座り直すと、横のポールに身を預け、
じんわりと暖かい日差しの中で目を瞑った。
*
シュッ、と箱を擦る音。
俺がマッチを擦るのに手間取っていると、
品のいい女の人がそれを俺の手から受け取り、
慣れた手つきで線香に火をつけた。
細い煙がすーっと天井に上がってって、
あの独特の蚊取り線香みたいな匂いがつんと鼻腔を刺激する。
俺は見たことねえくらいデカい仏壇に向かって手を合わせてた。
中を見上げると、上の奥まったところに白黒の顔写真があった。
そいつは大きな目が線みたいに細くなるのもかまわず笑ってた。
「すごい笑顔ですね」
思わず俺がそう言うと、
写真の人間の母親である女はすこし疲れたようにふふ、と笑った。
「子供のときから、そうやって鼻にしわをつくって笑ってたんですよ」
「そうなんですか」
太い眉に大きな口。
彼女はあいかわらず魅力的だったが、生身の方が何百倍もいいな、と俺は思った。あたりまえだけど。
電話がかかってきたのは突然だった。
母親が遺品を整理していたら、出してない手紙があったという。
住所不明で戻ってきていたようだ。
そんでその時にタイミングよく、俺の年賀状が届いたと言う。
宛名と差出人の名前が一致してることに気がついた母親は、
彼女が亡くなったことを書き添えて、その手紙を俺に送ってくれた。
おれはその手紙を受け取ったあと、即座に彼女の実家に電話した。
それで、次の休みに線香を上げに行ってもいいかと聞いて、今に至る。
俺が線香を上げ終わると、
母親が畳の部屋の中央に置かれた木のテーブルに
お茶とお菓子を出してくれた。
なんとなく、彼女は洋館みたいなとこで生まれ育ったんだろーななんて思ってたけど、実家はおもいっきり日本家屋だった。
「大きな家ですね」
「ああ、ここは夫の実家なんです。もうあっちに住む必要もないからって、引っ越したんですよ」
一人暮らしをしている車椅子の愛娘のために、両親は都内に住んでいたんだろう。俺はいただきます、と言って茶をすする。
「三年前……でしたっけ」
「そうです」
「事故でっておっしゃってましたよね。電話で」
母親は背中を丸めて頷いた。染めている髪の根元から白髪が見えてる。
意志が強そうな太い眉毛は彼女とそっくりだ。
でも、彼女より眉尻は下がってる。
手触りの良さそうなベージュのニットに、スカートを合わせてる。
「小さい子供が……ペットの犬を追いかけて、
道路に飛び出しちゃったらしいんです。
そこに丁度トラックが来て。
あの子は近くをたまたま通ってて――――
もう、反射的に飛び出しちゃったんでしょうね。
あの子のことだから。
子供を車椅子で勢いよくどーんと撥ねたみたいです。
でも、子供は擦り傷で済みました。
けど、あの子はそのまま……頭を打ってしまったみたいです」
俺はなんて返して良いのかわからず、そうなんですね、とだけ言った。
あれ、こういうときはご愁傷様です、とかなんとか言うのが正しいんだっけ。
忘れた。
俺が頭を掻いていると、母親はお菓子のおかわりありますよ、と言って席を立った。
ああ、やべ、また早く食い過ぎた。
でも母親も、娘の話を久しぶりに出来てうれしそうだった。
俺がそう思っただけだから、ほんとのところは知らねえけど。
おれはしばらくそこに居て、彼女の母親と思い出話に花を咲かせた。
と言っても、俺はもっぱら聞くだけだったけど。
彼女が小学生の頃、
男の子に告白されたことを夕食時に報告してきた次の日に、振られたことを報告してきた話。
プールに入りたいと言うから介護士と協力して連れて行った時の話。
作文コンテストやスピーチコンテストではいつも優秀な成績で、
関東大会で準優勝したこともある、という話。
小学校の時、最初は母親が彼女を学校に運んでいたが、
次第に友達ができて彼女を迎えに来たり、送ったりしてくれるようになったから、楽になった反面、すこし寂しかったという話。
茶の飲み過ぎで、俺の腹がたぷたぷになった頃、
俺は母親に別れを告げ、彼女の家から失礼した。
一歩外に出ると、辺りはもう暗くなっていた。
俺はそき姉の最後の手紙の内容を反芻しながら、
そのまま足早に駅に向かう。
もう一カ所、寄りたいところがあった。
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