往信 俺からあんたへ

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往信 俺からあんたへ

ちりりん、という鈴を鳴らして、俺は重い木の扉を開けた。 昨日調べた時に、まだ営業してて驚いたが、 実際その場所に来てみてもっと驚いた。 店内は17年前と同じようにひんやりしてて、 オレンジ色のランプがあたりを申し訳程度に照らしてた。 店内では爺さんとばあさんが一組、たまにぼそぼそ話ながら飯を食っている。 もっと驚いたのは、奥のカウンター席に新聞を広げて読んでる爺さんが居たことだ。 この喫茶店、マジで時間止まってんじゃねえか? おれはふらふらとテーブルに手をつき、あの馬鹿でかい椅子を引いた。 店員に紅茶を注文して、鞄に入ってた紺色の封筒とメモ帳代わりのB5のノートを取り出す。 俺はすでに何度も読んでくたびれた手紙を開き、 もう一度読んだ。 それからノートを一枚破き、ペンを走らせ始めた。 * そき姉へ。 久しぶりだな。 手紙ありがとう。 読むの遅れてごめんな。 引っ越ししたときに住所変更が遅かったから、 戻って来ちまったんだな。 住所わかんなくてもメールとかもあるし、 SNSでつながってるし良いかって思ってた。 ホントごめん。 手紙読ませてもらった ――――てか今更カップ数とか俺が恥ずかしくなるだけだから 勘弁してくれよ。 同時に、当時のこととか、その後のこととか思い出して、 俺めちゃくちゃ恥ずかしくなったんだけど? てかさあ、何年経っても幾つんなっても、 後悔とか恥ずかしいって気持ちは更新されてくんだなって思ったら、 なんかちょっと生きるのヤになっちまったよ。 いや生きるけど。 あんたも、自分の過去を恥ずかしいと思えるのは、 成長の証なんじゃないかい、とか言ってくれるだろうと思う。 手紙読んで、 あんたも焼き肉食べたときのこと覚えててくれてんだなって うれしくなったよ。 でその先読んで「は?」ってなったんだけど。 は?寂しい?ふざけんなよ、 俺の方が絶対寂しかったよ。 俺あのときあんたに告白するつもりだったんだからな。 告白っつうかプロポーズ? 指輪も安い奴だけど買ってもってってたんだぜ。 驚いた? でもあんたあんとき指輪してたじゃん。 肉食べた後、俺泣きながら駅まで歩いたんだぜ。 すげえ無様だろ。 周りの奴らがじろじろ見てたよ。 あれはぜってえ俺の人生の中でも情けない場面ワースト3に入る。 しかも、かなり後になって、なんかのタイミングで (ネギ送ったときのお礼のタイミングだったか?) 「職場がおカタくて、一応指輪をしている」 ってあんたが言ったとき俺がどんな気持ちになったかわかるか? 俺そんとき別の女と暮らしてたのに、 しばらくショックでセックスレスになったんだからな。 マジで責任取れよな。 まあそれはいいとして。 あんたと分かれて一年後、 けっきょく俺はあんたの側に居られないんだって思ってから ――――や、ほんとはどうだったか知らねえけど―――― 俺はあんたを忘れることに必死になってた。 だって、そうじゃなきゃマジで死にそうだったから。 生きてく理由が全部あんただったから、 また一からいろいろ積み上げ直さなきゃいけなかったんだよ。 でも逆に良いこともあった。 バカみたいに必死だったから、 真面目な奴って勘違いされて、 仕事では高評価だった。 それに、初めてパートナーって言えるくらい 長い付き合いの彼女も出来た。 そんときあんたに送った年賀状は、 おれのささやかな対抗心だった。 でも、まあ、そういうのってなんでもそうだけどさ、 上手くいってるときはいいんだけどさ。 なんかひとつでも上手くいかなくなったとき、 やっぱあんたのこと思い出すんだよな。 どーしてるかなって。 泣いてねえかなとか。 いや、あんたは俺より全然強いけど。 あとは――――今どんな本読んでるのかなとか。 まだあそこで働いてんのかなとか。 あの同僚は今考えてもぜったい下心あったよなとか。 いや、わかってる。 ばかみたいだって。 俺もそう思うもん。 少ない情報を何回反芻してるんだって。 拾ってきたエロ本ずっと使ってる中学生かよって。 でもしょーがねえの、全部事実だから。 まあ、そうだな。 『そんな未練があるなら、なんでそう言わないんだ。 全然そんなそぶり見せなかったじゃないか』 って、あんたは言うかもしれない。 まあ、そうだな。 うん。言えばよかった。 でもなんで言わなかったっていったら ――――平たく言えば、怖かったんだ。 あんたともう一回会ったら、 おれは一瞬であんときに戻る自信があった。 そしたらあんたがなんて言おうと、 他の者全部なげうってでも、あんたしか欲しくなくなる。 あんたがそれでいいって言うならいい。 でもそうじゃなかったとき、 俺はいままでこっちで必死に築き上げてきたもんを全部失っちまう。 それでもいいか、て思うには、 おれは社会人としての自分に、アイデンティティを持ち過ぎてた。 いや、なんだこれ、俺あんたみたいな回りくどい言い方してんな。 ただびびってただけ。本当は。 つうかあんたさ、この手紙で時効だ時効だって言い過ぎじゃね? なんでそんな急に達観してんだよ。ばーさんか? でも―――― そうあんたが言うなら俺も言うけどさ、 おれ、あんたが入院してるって知ったあのとき―――― ホント死ぬ程ショックだったんだよ。 マジで、足場が揺らいで、 急に無くなって奈落の底に落ちてくみたいな怖さっていうか。 あんな感覚は初めてで、そんとき俺「あ、やべえな」って思った。 そんとき初めてわかったんだ。 おれやばいくらいあんたのこと好きなんだって。 とか言うとさあ、あんたは「今更だな」とかいって尊大に笑いそうだけど。 まあいいや。 だからさ俺、今ちょっとほっとしてんだ。 もう一生、俺の人生壊れることはねえって事だからさ。 でもその反面、 めちゃくちゃ悲しくて寂しくてやるせなくて苦しくて辛くて 体中の骨とか臓器がばきばきに折れてるみてえに苦しいよ。 俺、ほんとにあんたと一緒に居たかったんだ。 いまならわかるよ。 それだけを望んでたんだ、俺はずっと。 なんでわかんなかったんだろうな。 いやわかってたのになんでおれ 今までぼーっと生きてたんだろ。 最低最悪のクソ馬鹿野郎だ。 最後に、すげーバカなこと書くけど、許してな。 次生まれ変わったら、俺と一緒に居てくれる? 次は絶対言うから。一生一緒に居てくれって。 あんたがなんて言おうと、俺はあんたの幸せのためだけに生きるって。 * 俺はペンを置いた。 便せんの文字がゆらゆらとにじみ、 紙にぽたぽたと涙が垂れた。 俺はそれを手で乱暴に拭う。 破いたメモがクシャリと歪んだ。 顔は涙でぐちゃぐちゃだった。 それなのにどっかで、 おれほんとこの人のこと好きだったんだなあって 冷静に考えてた。 俺はティーポットから紅茶のおかわりをカップに入れた。 冷えて濃くなった紅茶がちょろっと出る。 カップを持ち上げると、紺の封筒から、 そき姉のくれたしおりがはみ出てるのが見えて、 おれはそれを引っ張り出した。 ピンクの和紙に、和歌が書いてある。 俺は苦笑しながらそれを裏返した。 おいおい、俺がピンクってがらかよ。 つうか和泉式部って恋人と死に別れてんだろ。 縁起悪すぎだろ。 おれは涙で腫れた目で、そのしおりの和歌を詠んだ。 ――――君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬ物にぞありける――――
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