バレンタイン

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バレンタイン

 初めて告白された日はほとんど動じることはなかった。けど、と今さらながら思う。春巳と出会う十年以上前のこの出来事を覚えているということは、心の片隅でおもうところはあったのだろうか。  小学校最後のバレンタインデーのことだった。サラカミくん――さらさらの髪を肩まで伸ばしていた男子が放課後の理科室に私を呼び出した。 「待たせてごめん。周りに見つからないようにまわり道してたら遅くなっちゃった」 「べつにいいよ」  待っている間、人体骨格模型がこちらを睨んでいたり、ツンとした臭いが鼻を不快にさせていたりしたけど、私は態度に表さなかった。  感知を鈍らせて感情を動かさないように頑張って制御していたからだ。窓辺でひなたぼっこをしつつ、まだ固い桜のつぼみを眺めることに意識を集中させることで、成功していたのである。 「そ……そういうクールな涼ちゃんが、ぼ……ぼくはかっこよくて、ステキだと思う。だから――」  手にもっていたものを差し出してくると同時に、サラカミくんのさらりとした髪がたれて、柴犬みたいにつぶらな瞳を隠した。  もしあのとき、サラカミくんの愛らしい眼で見つめられたら、桜のつぼみのように固く閉ざした私の感情はゆるみ、開いていたかもしれない。  でも、サラカミくんがうつむいたおかげで私は幽霊を思い描くことに成功した。長い髪の間から目をのぞかせるうらめしそうな幽霊を浮かべることで、感情停止をやってのけたのである。 「ありがとう。じゃぁ、これお礼」  私は声の抑揚もなく、余っていた友チョコを渡した。 「え、あ、ありがとう。けど、そうじゃなくて……」 「バレンタインって、チョコ交換の日でしょ」  まごまごするサラカミを尻目に私はランドセルを背負って戸口に足を向けた。このままサラカミくんから離れられれば、私は人生初の求愛を無感情でやりきったことになる。 「す……涼ちゃんはすずしいどころか冷たいね」 「それは、私をクールでステキだときみが勘違いしていただ……け」  強がりだったようだ。サラカミくんが私に放った言葉は。言い返そうと振り返れば、サラカミくんはつぶらな瞳をうるませていた。  あっ、と思ったときにはサラカミくんは涙の雫を飛ばして走り去っていった。ほんの一瞬揺れた感情はすでに凪のように静かだ。 「冷たいというのは、無情の忍者を目指して精進中の私にとって誉め言葉だよ」  誰もいない理科室を出てにんまりしたときには、サラカミくんの姿はなかった。ただ駆け下りる足音が階段のほうから響いていた。
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