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しかし、やはり、私の感情を揺らすのは困ったものであった。揺らいだ感情がストーリー作りに影響を及ぼしてしまうのだ。
「知ってる? 鬼って、古来は神様的存在だったんだよ」
主人公のあかねが鬼退治をするというストーリーを描いていたとき、春巳が言った。
「え?」
おもわず私は反応してしまった。すると、春巳はその反応に喜んで語りだしたのである。かつて平城京を敵から守るため、ヒトクイ鬼がいるという話をでっちあげたという内容であった。鬼が怖くなって攻めに来させないためだったらしいが、いつしか鬼退治の話ができあがっていったらしい。
「つまり、平城京のころに鬼は怖いとおもいこまされたんだよ」
知識を披露した春巳は得意げに笑ったが、聞いてしまった私はたまったものじゃない。主人公に鬼退治をさせようとしていたのに、鬼が悪者に見えなくなってしまったのだ。
そのあと、どうしても鬼を倒す描写を入れられなくなり、雇い主と仲間を裏切って鬼の味方になるというストーリーになった。主人公あかねは雇い主の言うことのみを聞く者だったはずなのに。
「ストーリーを考えているときに私に話しかけないで」
今後同じ問題を起こさないために、私はつとめて冷静に春巳に言いつけた。
そのとき春巳は、すでになにか言いたそうにしていた口を手で抑えた。言葉だけでなく息まで止めたのか、顔を真っ赤にしてゆがめだす。
私の脳裏に、漫画家宅でなぞの窒息死という文言がかすめた。仕事の効率化のために人命を落とさせるなんて、私はしたくない。私はそこまで鬼じゃない。いや、鬼は悪者でないから、悪の意味として使用するのは……
「悪代官も本当は悪いわけじゃないんだ!」
私が混乱していたら、春巳はとうとう吐き出した。
我慢できずにかっ飛んだ声は仕事部屋中に私にも聞こえたが、春巳が話しかけていたのは私ではなかった。この部屋にもともといたもう一人――みじろぎ一つしない冷たい女に顔を向けていたのだ。
解決策をみつけた春巳は、瞳をきらめかせて私を見つめてきた。
「涼に話さなければいいでしょ?」
「私の聞こえないところでね」
私は快諾した。問題解決のとてもいい案だとおもったからだ。たくましい身体のしゃべらないあの女は意思を持たない私の分身。私が痛むこともないし、春巳があれで満足するなら良策であった。
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