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甘酸っぱい
分身は私の操り人形みたいなもので、便利である。分身の術を会得してから、もっぱら雑用係として家の中で使っている。だから、春巳の話し相手役を担ってもらうのも、私は雑用の一部を処理してもらうという認識だった。
仕事ははかどった。けど、「よく描けた」と言ってみても、「やったね」と春巳から返ってくる言葉はなくなった。春巳が分身に四六時中話しているだからだ。私は、知らない間に春巳の存在があたりまえになっていたことを悟った。
分身は反応などしない。無表情のまま聞くだけだ。それなのに、春巳は楽しそうに話し、手までつないだりして、今日みたいにべったり寄り添ったりしやがる。
これが嫉妬なのだろうか。私は嫉妬という感情まで持つようになってしまった。春巳と分身がどうしているのか考えると落ち着かなくなって、つい見てしまう。感情を揺らさないために分身を春巳にあてがったのに、揺らいでいる。
「飴はあめぇよ」
揺れ動く心は、私の足を春巳と分身がいるリビングへ再びいざなっていた。
春巳がまたダジャレをこぼしていたけど、そんなことよりも、春巳の挙動に私は釘付けになった。キャンディの袋を春巳は持っていたのだが、そこから黄色い飴玉をつまみ出すと、なんと、飴玉を分身の唇に押し当てたのだ。
分身とシンクロした私は、甘酸っぱい香りが広がった気がした。
なんだか春巳と出会ったころが懐かしくなった。酸っぱいものが好きな春巳はなんでもレモンをかけたがる。私は間違えて春巳の紅茶を飲んでしまったことがあるのだが、レモン汁たっぷりの紅茶の酸っぱさにむせ返った。甘酸っぱいというより酸っぱいおもいでだが、甘酸っぱい記憶として残っている。
「やっぱりキミは食べないんだね」
私が思い出に浸っていると、春巳は飴玉を自分自身の口に入れた。微動だにしない分身の口から春巳の口へと飴玉は動いたのである。つまり――
「か、間接キスですと!」
裏返った変な声を私はもらした。動揺して叫んでしまったことを自覚したときには、春巳のビー玉みたいに丸い瞳が私をとらえる。私は固まり、春巳はゆっくりと眼を細めた。
「そっか。涼とは久しぶりだね」
穏やかな笑顔がそこにはあった。きっと、春巳にとって分身イコール私、涼なのであろう。
けど、私には分身がうらやましくおもえてしまう。悪気がない春巳を責める気にはなれないが、妬いてしまう。
「外に行こう」
私は春巳の手を引いて歩きだした。いま起こっている感情をしずめるために。
外に分身は出ない。春巳と二人きりになれる。
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