甘酸っぱい

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 マンションに面した桜の街路樹が並ぶ歩道を春巳と進む。木はわずかばかりの枯れ葉をつけ、空は白い雲がおおっている。 「急にどうしたの。涼と散歩も久しぶりだね」  春巳はのんきに笑った。スキップまでしだし、私の少し前へと出る。  行く手に、しっぽをゆったり揺らして歩く猫が横切った。猫も春巳ものんびり過ごせるのか、外はおもっていたよりも暖かい。  猫と春巳を見ていると、ふと、あの猫に春巳が似ているように感じた。なにも考えず自由きままな様子が似ている。人の気持ちもわからないのだろう。 「もう分身と話すのはやめてほしい」  春巳が戸惑った顔をして振り返える。 「私と話してほしい」  おもいきって言った。春巳はにこやかにうなずき、頭上の枝を指さした。 「白いキャンパスに墨で線を引いたみたいじゃない?」  口に出したくてしかたなかったようだ。さっそく春巳節が炸裂した。  独特の感覚に、私はのまれてしまう。個性的な発言はいつもなにかしらの感情を私に与える。  そしていま、私は春巳の発言を必死に理解しようとして、さみしい枝を見上げた。分身と話しているところを見て心がかき乱されるより、春巳に揺らされているほうが楽しい。  逆光に浮かぶ老木の幹は黒々としていて、たしかに水墨画みたいなうねる曲線が伸びていた。その先には―― 「あ。桜」  季節はずれの桜が一輪咲いていた。春のような陽気に間違えて花開いたのだろうか。 「そろそろ熊が冬眠する季節なのにね」  ぼんやりと春巳が言った。熊も起きているのかな、と桜とは関係ない方向に春巳の思考がそれていく。おもしろい男だ。 「そうだね」  私が同意すると、春巳はまたスキップを始めて、距離が離れだした。  冷たい、と私はおもう。勝手きままで陽気な春巳は他人(ひと)の気持ちなどこれっぽちも解さずに自分の世界のみをいってしまう。  でも、冷たいあの人のおかげで私は自分の感情と向き合える。どんな感情と出会えるのか期待してしまうのだ。ときどき振り回されてしまうが、それは忍術の鍛錬でどうにかしたいとおもう。  だって、私はもう……  もう一度桜を眺める。春のような陽気に勘違いして咲いてしまった桜。もう元には戻れない。私もそうだ。 了
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