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日常
固いはずの桜のつぼみは、春のような陽気に勘違いして季節はずれの花をつけることがある。
かたくなな女だった私はある男に心を揺らされ結婚した。しばらくして、夫はある女に寄り添うようになった。私の名前を呼びながら。
今日もトイレから仕事場の部屋に戻る途中、半開きになっていたドアからリビングの様子を見てしまった。夫の春巳がしゃべらぬ冷たいあの女とソファに座っている。色気がないたくましそうな女の隣に。
またかと、ただあきれた。
「涼、聞いて。ちょっとおもいついたの。雨霰降ろうものなら飴あられ不老者食べる。」
冷ややかに一瞥しようとしていた私は、春巳が女に話すくだらないギャグを聞いてしまった。しまったと、耳をふさいだときには遅い。身体がぶるりと震えて鳥肌が立ち上がった。
可愛いらしさがある夫だけど、寒いギャグはだめだ。
抜き足差し足で仕事場に駆けこみ、慌てて息を整える。
……ちくしょう。なんであんな言葉に私は動揺させられなきゃならないのだ。私は無感情のプロなのに。
春巳があれを「涼」と私の名で呼ぶのはどうでもいい。それよりも、春巳の発言に自分の感情が身体が反応してしまったことが悔しすぎる。
二、三回深呼吸をする間に無駄な感情は消えた。きっと寒くなったのは、季節が進んできたせいだ。窓の外の街路樹は葉を落としだしている。
いつもの冷静さを取り戻したつもりでデスクに向かう。それでもなんか引っかかる。なにかが心の底に張りついている。でも、気にしないようにペンを取る。
私は漫画家だ。ペンを握れば無意識で手が動きだし、軽快に漫画の下書きを描きだす。
人間武具として戦国時代の修羅を生きるくのいち、あかねは感情を持たない。ただ、雇い主の命令に従い動く。たとえ、狩る対象がかつて親しき幼馴染みだったとしても、冷徹に刃を貫きとおし……。
くのいちのあかねが残忍なのではない。忍者に己の心は不要なのだ。雇い主の命令どおり任務を遂行したり、さまざまな人物になりすまさなければならない所以である。
そして、忍者の末裔である私も、感情をコントロールする教育を受けた。今や必要のない忍びの武芸だが、口伝のみの秘伝を絶やさぬために、忍術を一通り学んだ。
おかげでリアルな忍者もののストーリーを描け、それがお金になっている。けど、あかねほど冷徹になれない私は、今日も春巳の個性的な発言に振り回されそうになってしまっていた。
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