特異体質

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慣れてくると、便利な点もあった。 赤は高まり、青は冷静、緑は安息、白は誠実、黄は楽観、茶は穏やか……他にもたくさんの色があったけれど、わたしはそれぞれに大まかなイメージを付けていた。 そして、その見え方や形で、今のその人の感情を読み解いていたのだ。 刺々しい茶なら ”遠慮気味に怒ってる” 密度のあるぎっしり詰まったような青なら ”涼しい顔でも意見を変えない頑固” 今にも消滅しそうに小さくなっている白だったら ”嘘をつくかもしれない” そういう風に自分なりに研究した結果を、わたしは有効活用していた。 もうずいぶん長いこと、ずっとそうしてきたのだ。 もちろん、人の感情の全部が全部をキャッチできるわけではなかった。 人間の心は非常に複雑で、さっきまで尖っていた色が一瞬で丸くなるなんてこともしょっちゅうあったのだから。 それでも、相手の心がそれとなく察知できるということは、対人関係においては利用価値があるスキルだった。 時には、知りたくなかった友達の本心や、嘘、裏切りに遭遇することもあったけれど、それだって、何も知らずに後々もっと酷い目にあっていたかもしれないのだからと、プラスに考えるようにはしていた。 そうでもしていないと、自分の生まれ持ったこの体質を、疎ましく思ってしまいそうなときもあったから…… 少なくともわたしの母は、人とは違う体質を持ったわたしを受け入れられなかったようだ。 わたしが小学二年の夏、離婚して、家を出ていった。 父が言うには、母はとても繊細な人だったので、感受性が強いわたしの子育てにずいぶん悩んでいたらしい。 何も知らない父はこの時もわたしのことを ”感受性が強い” と捉えていたようだが、わたしと接する時間が父よりもずっと長い母は、もしかしたら、わたしに母の感情が見えていること、それにうっすら勘付いていたのかもしれない。 だから気味悪がって、わたしを置いて出ていったのだと、幼心にも母に対する罪悪感を覚えたのだった。 そんなことがあってから、わたしは、自分にが見えているということを、誰にも悟られないようにと、慎重に慎重を重ねて暮らしてきたのである。 たくさんの色が見えてしまう人混みでは気分が悪くなることもあったので、学校も就職も、なるべく混雑した交通機関を使わなくてすむようなところを選んだ。 大勢の人がいると、帯のように伸びている色が近くの人にまで届いていたり、大きくなったり小さくなったりそれぞれに不規則な動きをするので、乗り物酔いになったように具合が悪くなるのだ。 だから、短大卒業後に就職した実家からバスで二駅の場所にあるカフェは、わたしにとって最適の職場だった。 系列店もあるけれど店舗異動はないし、シフト制で時間も決められている。 なにより、朝昼夕の食事どきに満席になったとしても、広々とした店内ではが混み合うこともなかったのだから。 働きだしてもう五年、平穏な日々を送っていた。
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