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「お疲れ、雪村さん」
女性スタッフの更衣室に入ろうとしたところで、ちょうど中から出てきた先輩と出くわした。
「お疲れさまです。今日はもうあがりですか?」
先輩の首元にはまん丸い黄色が浮かんでいる。
この後何か楽しみにしてる約束でもあるのかもしれない。
「そうなの、久しぶりにデートなんだ」
弾んだ声に、まん丸い黄色もふわりと揺れた。
「そうなんですか。それは楽しんできてくださいね」
「ありがとう。今日の賄いはビーフシチューだったわよ」
「本当ですか?楽しみです」
ビーフシチューはわたしの好物だ。
「それじゃ、また明日ね」
「はい。気をつけて」
スキップでも踏みそうな足取りで更衣室を後にする先輩に、わたしの気分も軽やかになるようだった。
自然と浮かんだ笑みを残したまま更衣室に入ると、ちょうど正面の壁に掛かってあった鏡に先輩の後ろ姿が映っていた。
その首あたりには、やはり黄色が浮かんでいる。
よっぽど楽しみにしてたんだな…と微笑ましくなった後で、わたしは、自分を映す鏡の前でため息を吐いていた。
わたしのまわりには、色がなかったからだ。
それは、テレビや写真といった機械越しの映像画像には映らなかったが、鏡や窓、水面等には映るようで、わたしは子供の頃から、何度も何度も自分の色を見ようと試みたものだ。
けれどどうしてだかわたし自身のまわりには、それらしい色は見当たらなかった。
……わたしにだって、当たり前だけど感情はある。
たとえば、賄いがお気に入りのビーフシチューだと知って、喜んでいるはずなのに。
なのに、それはわたしには見えなかったのだ。
自分の特異体質に気付いて以来、ずっと、相手の感情を読んでからリアクションを返すという、カンニングのようなコミュニケーションを続けてきた歪が、そういった結果として出てしまったのかもしれない……
そんな風に考えては、いつまでたっても見えることのない自分の色を、わたしは常に探していた。
けれど今日も、鏡に映るわたしの色は無色透明で。
彼氏とのデートに浮かれて黄色を咲かせていった先輩を羨みながら、わたしは仕事場である店に出たのだった。
そしてそこで、今まで見たことのない色に出会ったのである。
午前中は晴れていた天気が午後になって急に傾き、ぽつぽつと空から大きめの粒が落ちてきたようだった。
せっかくのデートが台無しにならないといいけど…
先輩のことを気にかけていたそのとき、入り口の扉が開かれた。
シャランシャランという、シンバルを小さく鳴らしたようなドアチャイムの音がして、カウンターでナプキンの補充をしていたわたしは手を止めた。
いつ聞いても心地いいこのチャイムの音が、わたしは大好きだった。
だがこのときばかりは、その大好きな音が耳に入ってこないくらいに、入り口に立っている人物に釘付けになってしまったのだった。
その人は、にわか雨に降られて逃げ込んできたような風情で、スーツのジャケットの袖を左右交互に払っていた。
そのスーツはダーク系、片手には黒いビジネスバッグ、襟元のタイは遠目だからはっきり見えないけれど濃いグレーだろうか。とにかく全体的に落ち着いた色味の装いなのに、彼の全身には、色とりどりのそれが溢れていたのだ――――――
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