土と鶴

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一行は目的に向かい早足で進んだ。儀式は満月の日、つまり明日執り行われることになっている。それまでに巫女を、ここ一帯の川の水源となっている、湖のほとりまで届けなければいけない。山の麓から湖までは、通常二日かかる。一行は夜も休まず歩を進めた。 鶴は輿の中で揺られながら、 ぼんやりと壁にもたれかかっていた。 鶴は目線を落とし、美しい白い着物を見た。それは今や、とてもちぐはぐなもののように思えた。擦りむけて血がにじんだ膝や、力を入れすぎて浮いてしまった指の皮だけが、本当の自分の残滓だと感じた。 鶴はまた、自分の人生が終わるということを、どこが他人ごとのように感じていた。逃げようと考えると、母の顔が浮かんで、動けなくなることの繰り返し。 さらわれて逃げた二日間は、長い夢を見ていたように今は思えた。しかし鶴は今、この状況に違和感を抱いていた。二日前だったら、けして感じていなかった違和感だ。 元いた場所に戻って来ただけなのに、今の鶴は全く落ち着けなかった。 頭の中で、男が稜線の向こう側に落ちていく光景が浮かんでは消える。 鶴は少しだけ不思議に思った。自分を殺そうとした男に、かわいそうという気持ちを持っている自分を。 輿の屋根を叩く雨の音が、だんだんと大きくなっていった。雷鳴が鳴り響き、泥の匂いが鼻をつく。 輿は何度もがくりと揺れた。輿を運んでいる兵士が、何度も足を滑らせているようだ。そのたびに鶴は、洞窟を出て行った日のことを思い出した。それは遠い昔のことのように鶴には思えた。 激しい雨音と寒さの中で、うつらうつらとしていた時、鶴は何かの音を聞いた気がした。地鳴りのような音だった。次の瞬間、振動と共に何かが地面に叩きつけられるような、大きな音が響いた。鶴の体は放り上げられ、鶴は輿の柱に頭をしたたかぶつけた。何かにすごい勢いで押されたようだった。見ると輿の角が大きくひしゃげていた。激しい痛みの中、鶴は遠くで誰かが叫んでいるのを聞いた。 「土砂崩れだ」 「手の空いているものはこっちを手伝え」 鶴は外を見ようとしたが、小さな窓の外は真っ暗で 、何も見えない。今度は体中の力を込めて、扉を開けようとした。しかし、扉は外からしっかりと閂がかかり、びくともしない。 生暖かいものが首筋に触れ、鶴は背中に手をやった。ぬらりと手についたそれが、血だと鶴には分かった。 息が苦しい。鶴はひしゃげてさらに小さくなった輿の中で膝を抱え、鼻を押さえる。独特の泥の匂いが輿にこもっていた。 「鶴」 鶴は驚いて顔を上げた。領主が自分を呼んだのかと思ったのだ。 「鶴」 しかし2度目に聞いたその声は、領主のものより、ずっと幼かった。 「……誰だ」 都度は戸惑いながら聞いた。 「よかった。生きていた。中から扉を開けることはできない?」 「それは無理だ」 鶴は戸惑いながらもそう答えた。答えながら、次は注意深く記憶を辿る。しかし鶴の記憶の中には、その声の主を見つけることができなかった。 「ちょっと扉から離れてね」 鶴が後ろへ少し身を引くや否や、鋭利な刃物が輿の天井から飛び出た。鶴は驚いて床へ縮こまった。しかしそれでも距離はあまり変わらない。輿はあまりにも小さい。 刃物は何度も輿の天井を突き破った。乱暴に開けられた穴から、水滴が入ってきた。 べりべりという音がして、輿の天井が開いた。輿の材料に使われていたいぐさがパラパラと鶴の顔に落ちてきくる。それと同時に、冷たく大粒の雨を孕んだ風が輿の中に入り、次々と腰の中に点を打つ。 鶴が再度顔を上げた時、雨の代わりに現れたのはびしょ濡れの少年の顔だった。はっきりとした眉に、涼やかな目。鋭角な顎の線。髪は垂れ、顔に張り付いているが、こんなにびしょ濡れでなければ、もう少し爽やかに見えるだろう。 鶴はその顔に見覚えがあった。鶴はすぐに、洞窟で見張りをしていた幼い少年のことを思い出した。 「行こう」 鶴は言われるままに立ち上がった。そして輿から顔を出して驚いだ。輿の右半分が泥と木で埋まっている。もう少し道の先へ行っていたら、と思って鶴はぞっとした。輿を担いでいたものは、うまく逃げられただろうか。 少年は懐から履物を出して鶴に渡した。履物は既に水を吸っていた。鶴は履物を履くと、天井から差し出された少年の手を取った。輿の外に出た途端、凄まじい雨と風で、鶴もすぐさまびしょ濡れになる。 「急いだ方がいい。いつ兵士が帰ってくるかわからない」
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