土と鶴

17/23
前へ
/23ページ
次へ
たくさんの規則的な足音が聞こえて、鶴は目が覚めた。鶴の体は横にされ、規則的に上下に揺れている。 鶴の目の前は真っ暗だった。視界がかすんでいるのかと思い、何度も瞬きをする。次第に暗闇に目が慣れると、鶴は首をできる限り回し、指を伸ばした。すぐ手の届く場所に、高さの木の塀のようなものが張り巡らされている。鶴は自分が、箱に閉じ込められていると気が付いた。 鶴はすぐに体に力を込めた。しかし体は少しも自分の思うようにならない。足首や手首に引き攣れを感じた。がんじがらめにされて、板に貼り付けられているということに鶴は気づいた。鶴は叫び声を上げようとしたが、猿轡をはめられていて声を上げることさえできない。うー、うーという声と、自分の心臓の音だけが大きく響いている。 暫くすると、足音が止まった。鶴の体は持ち上げられ、今までとは違う場所へ置かれたようだった。木と木が擦れる音がして、鶴の体はゆっくりと上下した。それに続くチャポンという音で、次は自分が船に乗せられていることに気がついた。 急に箱がガタンと揺れた。光が差し込み、鶴は目を瞬かせた。鶴が閉じ込められている箱の蓋がずれ、領主と兵士が鶴の顔を覗き込んでいた。 「鶴。ここまですればお前ももう逃げることは出来ないだろう。できればもう少し、花のある死に方をさせてあげたかったけれど。あの土砂で兵士は負傷したし、お前を探すのにもなかなか手間取ってね」 鶴は領主の顔を、恐怖に歪んだ目で見つめた。思い切り心の叫びを伝えるように。領主はそれを一瞥すると、憐れむような表情を作った。領主が目配せすると、兵士が鶴の目隠しと、猿轡を外した。 口が自由になった瞬間、鶴は言った。 「領主様にお聞きしたいことがあります」 鶴は上目遣いに領主をまっすぐに見つめた。 「母は死にましたか」 領主はしばらく沈黙した後、言った。 「ああ」 鶴は全身の毛が逆立つのを感じた。悲しみと怒りで手が震える。 「どうして」 鶴は叫んだ。涙が零れた。領主は無表情のまま、少し遠くを見つめている。彼の目線は鶴を通り越しているようだった。 しばらくして領主は呟いた。至って普通の声だった。 「鶴、お前は村人の心の支えだった」 「は?」 領主は目線をゆっくりと鶴に合わせた。領主は鶴の戸惑いを無視して話を続ける。 「人間はね、自分が一番不幸ではないと思えないと駄目なんだ。自分が一番不幸てないのなら、この世にもっと不幸な人間がいるのなら、自分は幸せなのだと思って生きている。 お前は村人とは違って働かなくていい。手に血豆を作ることもない。村人より美味しいものを毎日食べられる。きれいな服を着、一日中のんびりとしている」 「そんなこと、私は求めていませんでした」 鶴は屋敷での生活を思い出す。幽閉された、半径20メートルの生活。そこには寂しさと退屈さと、心が消えるような孤独があった。鶴はもし家に帰れるなら、それらすべてを喜んで捨てた。 「お前の気持ちなんて関係がないんだよ、鶴。 人は、祭りの時にだけ、美しく着飾ったお前を見る。ただの村人の子供である一人が、高貴な存在のように、にっこりと満足気に笑う様を。村人はそんなお前に嫉妬し、憎悪を感じる。そして嫉妬と羨望の中で、それでもお前を愛す。なぜかわかるかい。 お前がじき死ぬからだよ。お前はどんなに大切にされているように見えても、限られた命だ。他の人間とお前の決定的に違うところはそこだ。お前の命をお前が決めることはでくない」 領主は淡々と続けた。口にはうっすらと笑みが浮かんでいた。 「だからね、鶴。お前の母親の命もそうなんだよ。あの女のしたことを知った時、私は嬉しかったんだ。なかなか都合のいい展開になった、とね。あの女を処刑することで、お前の不幸さが増すだろう。それは村人全体の幸福と安定を意味するんだよ。僕が一番望んでいるのはそれだよ。この安定した状態がずっとずっと続いていくこと。それがこの村の一番の幸せなんだよ。鶴にはそれ分かるでしょう」 鶴は青ざめていた。淡々と説明する領主の言葉に、鶴は怒りとともに混乱していた。 しかし、辛うじて言った。 「それは……それは嘘だ」 「嘘?嘘でもいいじゃないか。皆が幸せなら」 「ちがう、そうじゃない。誰かの犠牲の上に成り立つ幸せなんて幸せとは言えない」 「それなら鶴は、みんなが不幸な方がいいと思うのかい」 侮蔑の浮かんだ目に、厳しい声。鶴は青ざめながらも、息をひとつ吸い、虚空を見つめて言った。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加