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鶴は考える前に叫んで、茂みから立ち上がっていた。鶴の頭に母の顔がよぎった。目の前で誰かが傷つけられるのは、もうたくさんだった。
「そこにいたか」
領主は笑う。
鶴は凍りついたように立ち尽くしていた。「そこへ並べ」
鶴は、縄で繋がれている、泥にまみれた男の傍へ行った。男は気を失っているようで、猿轡をはめられていた。鶴は弱弱しく笑った。
「……よく生きていたな」
鶴がぼそりと呟く。それに答えたのは領主だった。
「矢が当たったと見せかけて、矢には錘しかついていなかったのだ。協力者がいたらしい。そして必死に壁にしがみついていたところを捉えた」
「たすけてやってくれ」
「まさか。一番無様な死に方をさせるために捉えたんだ。幸運だったよ。見せしめになる」
鶴の体は冷えて重い。もう抵抗する力は残っていなかった。鶴は目を伏せた。
その時、黒い塊が鶴の足元に落ちた。鶴はそれをぼんやりと見て、また目をあげた。
男には髭がなかった。偽物をつけてあったのだろう。そして男の顔を見て、鶴はその男が自分の思っていた人物ではないことにようやく気がついた。鶴は驚きで声を出せなくなった。
その顔は領主のものだった。
*
「なんで」
「ばれたか。それにしてもなかなか持ったな」
領主は、今まで鶴が見たことのない表情でニカッと笑った。その目にはなぜか見覚えがあった。その声にも。
鶴は領主の顔と、領主の服を着ている男の顔を交互に見た。二人の顔は双子のように瓜二つだった。暗闇の中では、その違いが分からないほどだ。
「お前は誰だ」
「別に誰ってことはない。血の繋がりはないが、こいつに顔が似てた。それだけだ」
「影武者か」
その時鶴は理解した。鶴が知っている領主は、二人いたということを。
「何時からだ」
「数年前までだ。本物の領主は、お前んとこに遊びに来るほど暇じゃないのさ。お手玉を教えてやったろ」
鶴は男が川辺で、器用に木の実を弄んでいる様を思い出した。領主が遊び方を教えてくれたお手玉が記憶に蘇る。
困惑しながらも、鶴はどこか腑に落ちていた。家族のいない自分を慰めてくれた人。外に出られない鶴に、たまに花を手折って離れの縁側に置いておいてくれた人。
それはここに縛られている男ではない、ということ。そして同時に理解した。領主が矢を射られた日、あの時傷がすぐ治っていたように見えたのは、男が身代わりとなっていたからか、と。
そのうえで、鶴にはどうしても聞いておきたいことがあった。しかし、次に鶴が口を開きかけた時、領主が眉間に皺を寄せ、呻いた。うっすらと目を開け二人の方を見る。
鶴は男と目を合わせ、その前に立った。地面に座っている領主を、立ち上がったつるが見下ろす。それは初めての光景だった。鶴は複雑な思いで彼を見た。
領主の目は、表情を崩さない。いつもと同じように冷たい目。と同時に、心にざわざわとした不安が広がっていく。
どうしてこの男はこんなに冷静なんだ?
そしてその理由はすぐわかった。
急に、草むらから犬が吠えた。そして兵士が現れた。影が忍び寄るのようにその数は増え、二人が気が付いた時には、周りをすっかり囲まれていた。
*
男は領主を拘束しようとしたが、一呼吸遅かった。兵士はすでに弓を構えている。そしてその弓は、鶴と男に向かってまっすぐに引き絞られている。
領主のそばに兵士が駆け寄り、拘束を外す。男の上着を脱ぎ、上質な羽織に着替える。
「ふう」
手を挙げ、動かない二人をちらりと見ながら、領主は言った。
「なぜ、って顔だね。簡単なことだ。私の髪に匂いの強い香をつけておいて、犬どもに覚えさせておいたんだよ。人間にはあまり嗅ぎ分けられない匂いだそうだ。お前が領主でないことは、犬が離れればわかる。お前が来ることは予想の範疇だったからね」
領主は鶴を見つめ、また薄く笑う。
「鶴、お前は村の真ん中の広場で犬に食わせよう。男、お前は村中を馬で引いてやろう。顔をずたずたにしてからね。良い見せしめになる」
「やめろ」
こらえきれずそう言うと、領主は不思議そうな顔をした。
「鶴。もしかしてお前、この男に恩義を感じているんじゃないだろうね」
領主は鶴の顔をしげしげと見ながら続けた。
「お前の母が処刑されたのは、私のせいだと思っているかもしれないね」
「当たり前だ」
鶴は歯噛みした。
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