土と鶴

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「でもそれはちがう。そもそも、お前の母親に馬鹿な事させたのはこの男だ」 「え?」 「私はその日、屋敷にいなかった。そしてこいつが、敷地のカギを開けておき、お前の母親を敷地に入れたんだ」 「それは違う。私はずっと母に会いたいと言っていた。だから」 私のために、と言おうとした時、領主は笑い声をあげた。 「お前は何も知らないのだな。なぜそいつがお前を逃がそうとしているか分からないだろう」 「それは」 「教えてやろう。こいつは自分の罪悪感のために、お前を逃がそうとしているんだよ」 「罪悪感?」 鶴は男の顔を見た。男は、領主を睨みつけていた。領主はぴたりと笑うのを止めて言った。 「お前の母親を処刑したのは、こいつだ。こいつが首を切った」 鶴は反射的に男を見た。 「本当か」 男も鶴を見ていた。そこに弁明はなかった。 鶴は地面に膝をついた。 周りの声が聞こえなくなる。兵士がつるの後ろに回り、 体が縛られるのを、鶴は黙って見ていた。 その時、爆発音が聞こえた。辺り一面が煙に覆われる。兵士たちは爆発音と煙に視界を遮られた。そのすきに、鶴は手を後ろに引っ張られた。 「こっちへ」 鶴はかろうじて我に返った。その声に聞き覚えがあった。自分の手を引いているのは、鶴を洞窟まで案内した少年だ。肘の裏にある傷跡が一瞬見えた。そして今、鶴はその声とその後ろ姿が誰のものであるかを知っていた。 川で流されそうになった時、鶴を庇って岩にぶつかり肘にできた大きな傷 。 「雛」 妹は一瞬だけ振り返り、鶴に笑顔を向けた。 「やっと思い出してくれた」 * 2人は走りながら湖を離れ、川の下流に向かった。大粒の雨がびしょ濡れの着物にあたり、バツバツと音を立てた。昨日から降ったり止んだりを繰り返していた雨が、だんだんと激しくなってきたのだ。 鶴と雛は、山の中を流れる小川が、ゴーゴーと音を立てながら、勢いよく流れているのを目の端で見ていた。小川の水も、すでに増水している。 数時間、鶴と雛は歩き通した。雛は歩きながら言った。 「どこに向かっているんだ」 「吊り橋。あと少しでたどり着く。その吊り橋を渡り、道沿いに進んでいけば、となりの村へ行くための道に出られる」 道が埋もれてなければだけど。雛はそういって顔にへばりつく前髪を避けた。 「吊り橋?向こうの村に続いているあの橋か?」 「そうだよ」 「あの橋は、ずっと前に閉鎖されたと聞いたが」 「それは嘘なんだ。領主の役人や商人たちは使ってる。でも、村人に逃げられたり、物資を補給されたりしないように、村人はこの場所に来ることも、この場所について話すことも、禁止されたんだよ。見つかると殺される。でも今日は儀式のために、すべての役人がここの警備を離れ、準備にあたった。今日が逃げられる最後のチャンスなんだ。本当は偽領主が、鶴を先にとなりの村へ運んでくれる予定だったんだけど。失敗したから、私がこうして鶴を案内しているというわけ」 鶴は泥に足をとられて転んだ。雛が大丈夫かと声をかける。とはいえ、雛もさっきから何度も転んでいて、二人とも体中泥だらけだった。 鶴は口に入った泥を吐き出し、大丈夫と言った。 雛は続ける。 「お前はあの男とどうやって知り合ったんだ」 「彼は向こうから私に手紙をよこした。お前の姉を助けたくないかって。最初は迷ったよ。でも私は一人だったから。失うものは最初から何もなかった」 「お前も騙されていたのか。母さんのこと」 「いや最初に聞かされたよ」 「お前はそれでもいいのか」 「いいのかって?」 雛は振り返らないで言う。 「母さんを殺した男だぞ」 「でも彼の意思じゃないだろ」 鶴は雛の手を引っ張った。雛は手を引かれてまた転びそうになり、 眉根に皺を寄せて鶴を振り返った。 「何してんの。早く行かないと」 「お前はそれでもいいのか。母を殺した男と共謀するなんて」 雛はすこしだけ眉をひそめた。そして思い切り鶴の手を振り払った。そして歩き出す。 「待て」 「またない。歩きながらだったら聞くけど」 鶴は仕方なく歩き出した。 「鶴。鶴は知らないかもしれないけどさ。村はひどい状態なんだよ」 「は?」 「領主様が矢で射られた時、領主様が村にわざわざやって来られてね。くじを持ってきたんだ。そして全員に引かせた」 雛は淡々とした口調で続けた。
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