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男は体をぐんと引っ張られ多様で後ろにのけぞった。鶴の体が風で浮き、バランスを崩し地面に叩きつけられたのだ。
「おい倒れるんじゃない」
「好きで倒れているものか。お前より軽いから体が浮くんだ。なあ、どうしてもここを越えないといけないのか」
「そうだ」
「向こう側へ行くには、他の場所もあるだろう」
「それでは回り道になる。ここが一番近い」
二人は叫ぶようにして言葉を返した。風の音が大きすぎて、大声を張り上げないと声が届かないのだ。
空一面を覆っている雲が、物凄い速さで頭上を通り過ぎる。風はだんだんとその勢いを増していた。この後きっと嵐になると、鶴は思った。これ以上進むことは無謀に思えた。
「では日を改めるわけにはいかないのか」
「これ以上もたもたしてるわけにはいかない」
「とはいえ全く進んでないじゃないか、さっきから」
そう鶴が声を張り上げた時、 前方から何か転がってくるものがあった。
それは、ぼろ布の塊のようだった。ぼろ布は風に煽られて、こちらの方に向かって落ちてきた。鶴はよけようとしたが、斜面にへばりついているため動けず、ぼろ布は鶴の肩に引っかかった。 鶴は呻いた。ぼろ布を引き離そうとして布に手をかけると、風が布をめくりあげた。そこにはあらわになった人間の頭蓋骨があった。
「ひ」
すぐは恐怖に体をのけぞらした。その反動で斜面を少し転がり落ちてしまう。男はまた引っ張られ、バランスを崩して転んだ。男は苛立ちを露わにした顔で、鶴を再度振り向いた。
「なんだよ」
「人が……やはりここは呪いの山なんだ」
「呪い?それは村から逃げてきた人間だ」
鶴は混乱した。いつもたくさんの作物がみのり、祭りの日には華やかな催しが行われる、鶴の村。前は貧しかったが、今の領主様に変わってからは、効率的にたくさんの食べ物が摂れるようになったのだ。
自分たちの村の何が不満なのか、鶴にはよくわからなかった。
男は、鶴の横に転がったままのぼろ布を指差した。 そこには、持ち主の血痕とおぼしきものが見て取れた。
「この男は殺されたのか」
男は頷いた。
「お前は知らないかもしれないが、お前の村から逃げ出したい人間は沢山いる。そしてこいつは村を勝手に逃げ出したから、領主の手の者に殺されたんだ」
鶴は絶句した。
「まさか。領主様がそんなことするわけがない」
鶴は領主の柔和な顔を思い出した。屋敷に来たばかりの頃、他のものに 秘密でお手玉を持ってきてくれたことを思い出す。その後、鶴は領主様が来てくれる度に、お手玉がどんなに上手くなったのかを披露したものだ。
「本当だよ。お前はとって、領主がどういう存在だったかは知らないが、やつは村人たちを人間とは思っちゃいない。作物がたくさん取れても、逆に少なくても、そのほとんどが税の取り立てで持っていかれる」
「適当なことを」
「では聞くが、お前は体に肉がついた村人を見たことがあるか?丸々とした子供は?」
鶴は答えに詰まった。それは儀式の時、集まってくる村人に対して、鶴がずっと疑問に思っていたことだからだ。
「あいつは人間じゃない。人間があれほど、同じ人間をひどく扱えるなんて思えない」
「嘘だ」
鶴は男の言葉に腹が立った。自分が意味を見出していたもの、そのために頑張るのだと思っていた支えが、本当は 脆弱で意味のないものだと突きつけられた気がした。
鶴は抗議の言葉を発しようとしたが、それは無理だった。ますます強い風が、小石を吹き飛ばし、二人の衣類を鞭のようにはためかせ、口を塞いだからだ。
もうこれ以上進むことは無理に思えた。
「もうこれ以上進むのは無理だ」鶴は起き上がらずに言った。鶴は、自分が起き上がった瞬間に風に煽られ、再度地面に叩きつけられるだろうことが分かっていたからだ。
「無理じゃない。もう少し行けば傾斜と高度が緩くなる場所がある。そこで描線の反対側に行く」
鶴が、げんなりとした時だった。一際強い風が吹き、男の体は凧のように浮かび上がり、男は地面に叩きつけられた。
「ほらやっぱり……」
しかし男は鶴の言葉を聞かず、ただ目を見開いていた。つるを通り越して何かを見つめている。
鶴がその視線を追って振り向くと、二人が登ってきた斜面の15メートルほど下方に、何者かの赤い着物が風にはためいているのが見えた。
「やっぱり昨日のうちに渡っておくべきだった」
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