第四話 母は二人いた。

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子供の頃はよく行った記憶がある。 住んでいた家から少し離れていたこともあるが、海に面した砂浜へ歩ける場所にあった。そこは母の仕事場の旅館だ。 それは今でもある。すでに改築を数回している。 幼い頃に父は癌で亡くなった。通夜の時だったか、気丈な母が、玄関先にある、大きな柱にもたれ、背中を大きく揺らして、泣いていたのを覚えている。 ぎぃ 大抵の床は歩き出すと、鳴る。特に階段から上がったばたりの板は多くの人が体重をかけるのか、音が大きい。 ぎきぃ 大浴場に入る扉の前も大きな音がする。祖母と入った女湯から上がった時の冷たくて硬い床が忘れられない。 「おばあちゃん、ぎぃぎぃって言ってるよ」 「ドンってしたらいけないよ。床が痛い痛いって言うよ」 床が痛いわけはないが ぎぃぎぃー と深く、長く鳴ることもあってそんな気もしたことがあった。 一階の大広間の縁側からは垣根越しに海が見えた。この辺りは少し歩けば、砂浜で、遠浅の海はどこからも見えるが、大きな椿の花を付ける木が濃い緑の葉を サクサク っと、小さな音を立てて揺れていた。背中には学校の教室ほどの広間から抜ける畳の匂いがしていた。宿泊客が居ない日はその大広間で朝食をとることもあった。その場所が好きだった。 大広間を出て、玄関とは反対へ行くと浴室と露天風呂がある。浴室は大浴場と家族風呂の二つがあり、露天風呂に行くには大浴場を出て、家族風呂の前の渡り、廊下を通って行く必要がある。 露天風呂はさして大きくはなく、大人三人が入ればいっばいになってしまうものだった。 露天風呂にはトタンの壁があり、風が強い日には バタバタ と、揺れて大きな音がした。私はその音と静まりかえった夜の雰囲気がとても怖く、祖母と一緒でも行きたがらなかった。 波の音は聞こえない。それはもっとずっと近くに行かないと聞こえない。 父は普段は無口で酒を飲むとよく話した。この旅館にはずっと昔から出入りしていたらしく、大正時代にはあったと言っていた。 確かに事務室の壁と大広間の入り口の飾り棚には黄色く色褪せた、この旅館の写真があり、そこには祖父らしき男性と若い頃の祖母が居た。 父は植木職人だった。大広間から露天風呂までの垣根は父が作ったもうだった。 「椿はいいんだよ、潮に強いからな」 まだ小学校に上がる前の私には理解は出来なかったが、冬になると赤い花びらと黄色の花粉を付けた椿の花がたくさん咲いた。 この旅館では昔、事故があったらしい。改装して間もない頃、浴室で若い女性が心臓発作で亡くなったとのことだ。渡り廊下を通るところにある家族風呂だ。 あの場所なら、寒い冬の夜に人が倒れてもおかしくないと思った。 高校に入学してすぐに母は病気で入院した。自宅には母と祖母との三人で暮らしていたため、私は祖母と二人でいることが多くなった。 「お母さん、どうしちゃったんだろうね」 祖母は、いつも健康な母が急に腹痛を訴えて入院したことがとても心配だったらしい。また旅館のことも気に病んでいた。祖母は血圧が少し高いことを除けば、いたって健康で旅館へもよく足を運んでいたが、経営からは退いていた。 厨房には叔父がずいぶん前から入っていたのだか、その妻、つまり叔母は女将仕事には慣れず、祖母の助けを必要としていた。 時代はバブル期の始め、周囲にはリゾート開発という流れが来ていた。実家の近くの丘は何台ものシャベルカーが入り、土を出しては大型ダンプカーに積んでいた。 「この辺りも変わっちゃうのかねぇ」 祖母は台所の窓から外を眺め、口惜しいそうに言った。 「ウチも長いからね」 祖母は旅館の話をし始めると長く話し続ける。音楽番組を観ていたい私には少し苦痛だったが、二人しかいないので、相槌を打っていた。 ふいに昔、父から聞いた事故の話が頭に浮かんだ。その場の雰囲気から、私は祖母の話を遮るように 「おばあちゃん、昔、風呂場で女の人が死んだの」 と尋ねた。祖母は首を後ろにそるようにしながら、目を大きく開いて私を見た。 「どうして」
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