【会社員のバター】

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【会社員のバター】

かつてカフカが言ったように惨めな人生だ。毎朝すし詰めにされながら電車に揺られ、ひたすらパソコンとにらめっこするだけの日々。週に一度の貴重な休日も昼過ぎまで寝て、午後からスロットを打ち、近くの安い中華屋で安い餃子セットを掻き込む。帰り道のコンビニで酒を2本買い、築15年の古いアパートで1人で寝酒。そんな生活を続けてもう8年くらいか。全くもって惨めな人生だ。 月涼しに照らされたベランダで煙草の煙を眺めながら生きる意味を考えようと試みたが、ニコチンとアルコールの最凶タッグが思考を邪魔してくる。ぐるぐるぐる。頭の中をミキサーでかき混ぜられ、大切なものが気化していく。そんな敢え無い感覚が空白感に一層寒さを加算させる。ふと室内に目をやると、机の上で埃を被った筆といびきをかいているB4サイズの原稿が瞳に映った。 「あ、」 ぱっと零した言葉と同時に、先に溜まった灰がホロリと剥脱された。 「カチャカチャカチャカチャ」 銀色の玉が弾け飛ぶと同時に色彩豊かな花火があがる。かれこれ2時間はハンドルを回し続けているせいで手首が痺れる。おまけに首から肩にかけての凝りが酷い。その時、スロットの画面がピカピカとぎらついた。どうやら熱い演出のようだ。3回連続だなんてラッキーだな。画面のキャラクターが何かのボタンを押すよう僕に指示しているが、ずっとパチ屋に入り浸っているせいか耳がよく聞こえない。どうにか指示を聴こうと耳を立てていると、隣から誰かの視線を感じた。横を見ると、爺さんが何か言いたげに僕の台を睨んでいる。見ると顔が真っ赤だ。この爺さんは怒っているのか?僕が何かしたのだろうか?まあ、休日のこの時間帯でパチ屋にロクな奴はいない。きっとこの爺さんも同類で、頭のネジが欠損しているに違いない。僕は無視して、麻痺した右手でハンドルを回そうとした。その時、爺さんが席から勢い良く立ち上がり 「ちょっとお前こっち来い!」 と叫んで、若くて色白でモヤシみたいな店員を呼びつけた。 「くそったれ!どうなってるんだよこれ! オイ!」 爺さんはモヤシに怒鳴り始めた。 何に怒られているのか分かっていない店員はし きりに 「すみません。すみません」と頭を下げている どうやら爺さんは、自分の台には中々演出が来ないのに対して、隣の僕の台には立て続けにチャンスが生じている様を目の当たりにして、お怒りのようだ。なんだか僕が悪者扱いされてるみたいで腹立たしい。隣から凄まじい怒声が聞こえてきて、流石にこれには僕の腐った聴覚もSOSサインを出している。 (スロットごときで熱くなるなよ。老害が。) そう心に言い放ち、爺さんを睨みつけてから席を立った。出口の自動ドア付近でも爺さんの怒声が聞こえてきた。モヤシも大変だろうな。 店を出ると外はまだ明るい。隣の爺さんのせいでパチ屋を出る羽目になってしまった。 夏の始まりを予感させる鋭い日差しが蝉時雨を呼び覚まし、市民プール帰りの小学生はスイムバッグを振り回しながらアスファルトを駆け走っている。生温い初夏のそよ風が鬱陶しい。 さて、これからどうしよう。7年前に元カノから貰った腕時計を見ると16時を指していた。 なんとも中途半端な時間だ。 しかし、これといってする事もない。 せっかくの休日だけど今日はもう帰ろう。 僕はコンビニで5%のチューハイを2本買い、その場で1本飲み干してから帰路についた。
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