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「気に入ったかい。」
おじさんが得意気に聞いてきた。
「あ、はい…」
と曖昧な返事をした。
「にいちゃん疲れているな」
おじさんが言った。
「よく言われます」
僕はワッフルを切りながらそう返した。
「もっと自分に良くしてやりな。しんどそうだ」おじさんが言う。
「良くって…?」僕が聞き返すと
「それは自分に聞いてみなさい」と返された。
僕はムッとして
「おじさんに僕の何が分かるんですか。」
とイライラした口調で言った。
「そうだな。会社で上手くいってない事くらいは分かるよ。人間関係もまるで駄目そうだ」
と答えた。
「おじさんは占い師か何かですか?」
僕はつい煽り口調で言う。
「そんなんじゃないさ。ただ君のやつれた顔に書いてあっただけだ」
おじさんが笑う。
カチンときた。このおじさんも僕を小馬鹿にしたいのだろうか。そして次の瞬間に僕は
「うるさい、あんたみたいな老いぼれに俺の何が分かるんだよ!」と席を立って叫んだ。
直後に僕はハッと我に返った。これじゃまるで僕も老害じゃないか。
「すみません。」僕は静かに腰を下ろした。
「いいんだよ。我慢せずに吐き出してみな。抱
えていること全部」
とおじさんは優しい声で言った。気のせいか招き猫の目付きも母性で満ちている。
「…僕だって今のままじゃ嫌なんです。本当は漫画家になりたかった。けど親に猛反対されて仕方なく今の会社に就職しました」
僕は重い口を開いた。
おじさんは静かに頷いている。
「ブラックでした。給料は安いし、休みも少ない。おまけに飲み会は強制参加。入社直後は社会人なんてこんなものかなと割り切っていましたが、最近になってやっと気付きました。入社8年目でですよ。笑えますよね。入社当初から仕事にモチベーションが無くって簡単なミスを繰り返して毎日上司に怒られています」
「やりたい仕事じゃないってわけだ」
おじさんは納得したように言う。
「そりゃ僕だってこんな会社辞められるなら今すぐに辞めたいですよ。でも世の中そんなに甘くないでしょう。」
ふむ。おじさんは腕を組んで一瞬考えると
「なら明日にでも辞めればいいじゃないか。」
と閃いたように言った。この人は何を軽く言っているんだろうか。
「冗談よして下さい。それに、やめてどうするんですか。僕みたいなオッサンどこも雇ってくれませんよ」
「漫画家になるんだよ」おじさんは言った。
「は?」僕は間抜けな返事をした。
「なりたいんだろう。漫画家。目指してみなよ」おじさんは淡々と言う。
「いやいやいや。そりゃなりたいですけど…無理ですよ今更」ワッフルを見つめて言った。
「うちのワッフルは後味が良いんだ」
おじさんは煙草に火をつけた。
「はい?」
「どうしてだと思う?」
「さあ…?」
「バターだよ。バターの溶かし方がポイントなのさ」
「バターに溶かし方なんてあるんですか?」
僕は首を傾げた。
「もちろん。ただ火にかければいいってもんじゃない。溶かすように溶かさなきゃ後味が悪くなっちまうからな」
「それが何なんです?」
「これはワッフルに限った話じゃないのさ。つまり人間も同じってことだ」
おじさんが灰皿を叩いて言った。
「つまり何が言いたいんですか…?」
「にいちゃんはバターを溶かすように溶かせてないんだよ。まあいいか、仕方ないか、こういうもんか。こんな風に妥協して勝手に溶けてくれるのを待っているだろう。だから今、後味が悪いんだ。それじゃあ駄目だ。溶かさなきゃ。にいちゃんが自分で溶かすんだよ。後悔しないために。後味の悪い人生なんて嫌だろう?」
「……嫌です」
「なら行動に移さなきゃ。理想を追求する事こそが人間本来のvirtueだと私は思うよ」
そうか、逃げていたのか。僕は理想から目を背けていたんだ。親のせいばっかにしていた。時間が夢を勝手に溶かしてくれると思ってた。勝手に諦めさせてくれると思ってた。妥協を重ね過ぎていた。けど僕の夢はまだ溶けきっていない。だからこんなにもスッキリしなかったんだ。やっと分かった。
僕は今でも漫画家になりたい。
「今からでも間に合いますかね」
「君のバターはまだ溶け切ってないからね。まだ間に合うさ」
ゴクリと唾を飲み込んだ。僕のバターはまだ溶けきっていないんだ。
僕はおじさんの方を見上げた。
「今僕の中にあるバターが、このまま完全に溶けてしまう前に気付かせてくれてありがとうございます。おじさんとワッフルのおかげです。本当にありがとうございます」
モヤシは深々と頭を下げた。
「ちゃんと溶けるといいな。にいちゃんのバタ
ー」
おじさんはクシャっと笑った。
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