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「パパぁ〜?」 「ん……」  朝か。  可愛らしい子どもの声と、スズメの鳴き声で目が覚める。まともな体勢で寝ていないから、身体中がひどく痛んだ。せっかくのスーツもシワだらけだ。 「今……何時だ? ヤスエ……」  二日酔いに歯を食いしばりながら立ち上がる。  一瞬、時が止まった。  目の前に、見知らぬ少女が立っていた。 「ヤスエ……?」 「……どうしたの? パパ?」 「あ……どうも失礼しました」  家を間違えた。  咄嗟にそう思った。  パジャマ姿の少女は、どう見ても自分の娘ではなかった。  娘のヤスエは今年で高校生になるが、目の前の女の子は、せいぜい小学校中学年くらいだ。 「何言ってんのよパパ。私よ私」  慌てて後を去ろうとすると、その娘が俺の袖を掴んだ。 「私が、ヤスエじゃない」 「はぁ……?」 「《娘代行》サービス頼んだでしょ? 覚えてないの?」 「《娘代行》……?」  まだ夢を見ているのか?   ……ぼんやりしていると、廊下の向こう側から、エプロン姿の女性が顔を出した。こちらも、知らない顔だった。俺は声を上ずらせた。 「ど、どちら様?」 「お帰りなさい、あなた」 「へぇ??」  エプロン姿の女性がにっこりと俺にほほ笑みかけてきた。俺はぽかんと口を開けたまま、しばらくその場を動けなかった。 「《妻代行》の者です」 「《代行》って……」  目が泳いだ。よく見ると、玄関先は確かにいつも見る景色、自分の家のものだった。ふらふらとリビングに上がり、部屋を確認する。  ……間違いない。  ここは俺の家だ。  だけど妻と娘は…… 「あなた、《代行会社》に行かなくていいの?」 「え?」 《妻代行》を名乗る女性が、俺に笑いかけた。俺は二度見、いや三度見した。やっぱり全然記憶にない。全く知らない女性だった。『レンタル家族』のようなものだろうか? だけどそんなもの、頼んだ覚えは全くない。ウチに養子もいなかった。 「そろそろ《代行電車》の時間でしょう?」 「朝ごはんは、《代行》の人が食べといたから、心配しないで!」  見知らぬパジャマ娘が、俺の足元で無邪気に笑った。その時、俺はリビングにもう一人、見知らぬ男性がいるのに気が付いた。俺はぎょっとした。 「誰だ!?」  その男は、堂々と他人の家に押し入り、あろうことかソファで寝っ転がって新聞を読んでいた。テーブルには、俺と妻、そして娘の三人分の食事。だけど俺の分は、いつも俺が座っている席の前にある朝食は、綺麗さっぱり食べ尽くされていた。 「あいつは何者だ!? どうして俺の家に上がり込んでんだ!?」 「何言ってるの。《朝食代行》の人じゃない」 「《代行》で食べるって、なんだよ!?」 「早く早く! 遅れちゃうわよ!」 「ちょ……!? 待て!?」 《代行妻》が有無を言わさず俺を玄関外へ押しやった。  扉がバタン! と閉められ、俺は呆然と立ち尽くした。  ……見知らぬ輩に、自分の家を不法占拠されている。  ゾッとした。 「もしもし……警察ですか?」  扉を開けようとしたが、中から鍵が掛けられてしまった。俺は真っ青になり、慌てて110番通報した。 『はいこちら警察です。事件ですか? 事故ですか?』 「あぁ良かった! あの、実は、家でおかしなことが起こってて……」  舌が絡みそうになりながら、必死で喋った。 『おかしなことって?』 「何か、何かおかしいんです! 妻と娘が……朝起きたらいなくなっていて」 『あ〜、ちょっと待ってください』  受話器の向こう側で、男が欠伸をするのが聞こえた。 『今自分、《代行》なんすよね……』 「《代行》!?」 『そ、《代行警察》。本職の人出ちゃってるんでぇ、後で掛け直してもらっていいっすか?」 「そんな!」    警察の《代行》だなんて、聞いたこともない。言葉に詰まっているうちに、ブツッと向こうから切られてしまった。『通話終了』の画面を見つめながら、俺は気を取り直し、会社に電話した。 『あ、先パイ』 「タクか!?」  電話に出たのは、タクだった。今日起きて初めて、聞き慣れた声を耳にして、どれだけホッとしたか分からない。 「タク、大変だ、大変なんだ! 実は……」 『今日は先パイ、休みじゃなかったんスか?』 「え?」  タクが笑った。 『だって、《仕事代行》サービスの人、先輩の席に座ってまスよ?』  危うく携帯電話を取り落としそうになった。  今度は、《仕事代行》……どうなってる。 「タク、そいつは俺じゃない、俺はそんなサービス頼んでない!」 「そうなんスか?」 「とにかく待ってろ! 急いでそっちに行く!」  口から泡を吹きながら、通話を切った。駅に向かう前に、もう一度家の扉を開けてみる。鍵はかかったままだった。 「……ふざけやがって!」  怒り任せに扉を蹴り、俺は急いで会社へと向かった。  ……だが、車は使えなかった。メーカーに電話したところ、『現在該当車のオーナーが《代行》になってまして、はい』などと意味不明のことを喋り続け、余計に俺を苛立たせた。およそ数年ぶりくらいに、道路を走りながら、駅へと滑り込む。到着した時には、汗と二日酔いで、もう死にそうになっていた。  改札口に定期をかざす。だが…… 「あ〜、お客さん」  人がごった返すホームに、警告のチャイムが鳴り響く。  駅員が、無様に機械に通行を妨げられた俺を見て、近づいてきた。 「その定期、もう使えない見たいですねえ」 「何でだよ!?」  俺は定期を振りかざした。 「まだ期限あるじゃないか!」 「昨日から期限は《代行》の方になってまして……はい」 「くそっ!」  どいつもこいつも《代行》、《代行》!   埒が明かない。酔っ払っているのか、それともまだ夢でも見ているのか。一夜にして、誰とも話が合わなくなってしまった。期限が《代行》なんて、全く意味も分からなかったが、ここで押し問答している時間も惜しかった。  タクだ。俺は汗を拭った。  アイツなら、どんなに飲んでも酔っ払わないし、何かこの件について知っているかもしれない。あの後もう一度会社に電話したが、今度は知らない奴が出た。自分の会社なのに、知らない《代行》の奴だ。タクに代われと何度怒鳴っても、全く話が通じなかった。とにかくタクを捕まえなくては。券売機に並び、急いで小銭を入れる。 「あ〜、お客さん……」 「……今度は何だよ!?」  だが何度券売機に小銭を入れても、お札を入れても、戻ってくる。 「その券売機、全部昨日から《代行券売機》に変わっちゃてて……《代行通貨》しか入らないんですよ、はい」 「何だと……!?」  俺は駅員を振り返った。駅員はにっこりと笑った。 「……本当の笑顔じゃありません。《代行スマイル》です」 「知るかよ……!」  はっ倒してやろうかと思ったが、ギリギリ踏みとどまった。踵を返し、急いで来た道を引き返す。足は悲鳴を上げ、頭の奥がギリギリと締め付けられた。角を曲がった。だが…… 「家が……」  無かった。  三十年ローンの、大事なマイホームが、無かった。  俺は目を見開いた。代わりに建っていたのは、前衛芸術を履き違えたとしか思えない、何とも形容しがたい奇妙な建物だった。何だろう、美術の資料集に載っている作品を全部足してミキサーでかき混ぜれば、こんな異物が出来上がるかもしれない。俺は異物を見上げ、かすれた声を出した。 「《代行家》……」  ……そこで俺の肉体と頭脳は限界を迎え、道路にバッタリと倒れ込んだ。
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