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間抜けなほどに心底驚いた。
足音がしなかった。
こんな氷が混じった粗目雪なのに。
コートでもジャンバーでも厚着をしていればしているだけ、衣擦れの音も響くのに。
恐る恐る振り返ると、そこには俺と同じくらいか、1つ2つ年下に見える学ラン姿の少年が立っていた。
白い肌。少し長めの茶色い髪の毛。
首元に幅の広いマフラーを巻いているその姿は、ダッフルコートの下の学ランが見えなければ、女の子と見誤るような容姿だった。
大きい目がこちらを見上げている。
「あ、ああ。どうも」
言いながら一歩ガードレールから遠ざかると、彼はふっと笑った。
「お兄さん、見ない顔だね」
声を発するとやはり男だった。少し掠れた声は、太くはないが、ちゃんと低い。
「もしかして、観光とか?」
今度は俺が吹き出す番だった。
「……観光って…。ここら辺、そんな誰かが訪ねてくるほど有名なもんでもあんの?」
言うと、彼の顔は少し曇った。
「———あるよ」
「何?温泉とか?」
「違う」
「じゃあ何?」
「…………」
しばしの沈黙の後、少年は口を開いた。
「寐黒島って聞いたことない?」
「ねぐろ…じま?」
俺は眉間に皺を寄せた。
「あれ?あんまりネットとか見ない人?それとも友達いないぼっち?」
少年は少しだけ馬鹿にするように顎を上げた。
「ネットは確かに見ないし、友達とか呼ばれるうっせえやつらともあんまりつるまない。悪い?」
言うと彼は慌てて胸の前で両手を振ってみせた。
「まさか。悪くないよ?」
何か癪に障る奴だ。
俺はポケットの中の手を握りしめると、彼の脇を抜けた。
「どっちにしろ、俺は興味ないから」
「————」
彼の大きい目が自分を追いかける気配がする。
「あれ?何か用があってこの峠に来たんじゃないの?」
後ろから声が付いてくる。
「高校。探してんの」
「高校?」
「そう。九帖高校」
言うと今度は嘲笑が後ろから飛んできた。
「————なんだよ」
「もしかして本当に気づいてないの?」
彼は面白そうに笑いながら、親指を立てて、自分の後ろを指さした。
「あれでしょ?九帖高校」
俺は慌ててガードレールに再度駆け寄った。
先ほどは高さだけ意識していたから見えなかったのだろうか。
確かに峠の下には、古びた学校が聳え立っていた。
なんだか異様に黒い。
いや、もともとは白い校舎だったのはわかるのだが、ところどころ異常なほど黒い。
汚れ?
カビ?
いや、違う。
あれはまるで――――。
「なぁ。あの学校ってさ………」
俺は振り返った。
「……………」
先ほどまで微笑んでいたはずの少年の姿はどこにもなかった。
身体の芯まで冷えるような妙な感覚があった。
ガードレールの下をもう一度見下ろした。
ーーーどうやら、今日ではないらしい。
「————帰ろ」
俺は元来た道を下り始めた。
粗目雪は長靴で砕け滑り、やはりどんなに気を付けていても足音は峠道に響き渡った。
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