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父親と母が離婚したのは、俺が小学校を卒業する直前だったから、もう5年になる。 普通は逆だと思うのだが、12歳の俺が母親に引き取られ、8歳の妹が父親に引き取られた。 その2年後、父親は再婚し、去年赤ん坊も生まれた。 実の母親と馬が合わなかった妹は、新しい母親と思いのほかうまくいっていて、生まれたばかりの弟の世話を甲斐甲斐しくやっているらしい。 母親が病に倒れたのは先月だった。 病名は乳癌、医師の見解ではステージ3。 すぐに手術が行われ、今のところリンパや血液、他の臓器に転移も見られない。 抗がん剤治療に切り替えられ、3ヶ月後に退院してくるという話だ。 その間、父親の新しい家庭にお世話になっていたのだが、いい加減居たたまれなくなった俺は、父親の実家がある、栃木県の山奥に預けられることになった。 「……祖父ちゃんとか、ボケてねえの?」 俺は窓から目を離さないまま言った。 「ボケてはない。だが冬場は除雪作業で山を2つ越えた町に出稼ぎに行ってるから…」 父親が座り直しながら言った。 「家にほとんどいないと思う」 「あそ」 気づかれないように安堵のため息をついた俺を、父親が笑う。 「その方が気楽だろう?」 無論、そうだ。 父親には別に確執も苦手意識もなかったが、父親の父親が苦手だった。 物心ついた幼少の時分から、盆に正月に遊びに行く度、何十回怒られたかわからない。 テーブルにまっすぐに座りなさい。 食事中、肘をつくのはやめなさい。 姿勢が悪い。 顎を上げるな。目つきが悪い。 ため息をつくな。 さっさと寝なさい。 朝起きたら顔を洗いなさい。 飯の前には手を合わせなさい。 ―――ダメだと言われたところに、行くのはやめなさい! 急に脳裏に祖父親の声が響いた気がして、俺はキョロキョロと周りを見回した。 「どうかしたか?」 父親が驚いてこちらを見下ろす。 「———あ、いや……」 真っ白だった外の景色が、薄暗い駅に変わる。 ホームを歩く人に合わせるようにゆっくりと速度を落とした新幹線は、ガシャンと停車の音を立てた。 プシュー。 ウィーン。 ドアが開く。 新幹線から吐き出された人たちが、窓から見える。 と、通路を通じて、肺を凍らせるような冷気が、一気に客室に流れ込んできた。 「行くぞ」 父親が立ち上がる。 俺もスポーツバックを肩から掛けて、白いため息をついた。
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