情熱のアイスマン

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 高校進学クラスの落ちこぼれ組は専門学校やら滑り止めやら仮面入学でお茶を濁すものだが、私は迷わず就職を選んだ。  進路相談の教師に報告したところ 「頼むからセンター試験だけでも受けてもらえないか」 と懇願された。  進学校の教師にもノルマがあるのだろう。  数字に支配された世界。  数学教師だった恩師には申し訳ないがなんとも皮肉なことだ。  しかし私の腹は決まっていた。  あいつを追いかけるため。私が在籍していた高校を一年で退学をし、自衛隊生徒過程へ進んだあいつだ。  自衛隊生徒とは防衛省管轄の高校である。  文科省の認可を得るため別の高校の通信課程という名目で勉学に励み、他の時間を過酷な訓練に明け暮れる。  将来を約束されたエリートが入れる高校である。  訓練があるため高校生という身分ながら給料をもらえる。  なんとも親孝行なシステム。  以前は陸海空自衛隊にそれぞれ存在していたが、今は横須賀は武山駐屯地にある学校に統合され、学年を上がる時に三自衛隊から進路を選ぶ。  私は高校一年で彼に会うまで、自衛隊や軍、ミリタリーに関する知識は皆無であった。彼が生き生きと語る米海軍機F-14トムキャットという戦闘機が私が初めて知った戦闘機だ。  卒業式を終え、胸をかきむしらんばかりの緊張を持って埼玉県は熊谷基地第二教育隊に配属された。  入隊式までの一週間の通称ハネムーン期間を過ぎると教官達は仏から鬼へ変貌する。  歯を食いしばって耐えた。  泥水の中を匍匐前進で這いずり回り。  何キロも走り続けた。  ほんの少しのミスで拳が飛んできた。  当然だ。実戦ならミスが即刻、甚大な被害になってしまう。  永遠と続くかに思える腕立て伏せ。  連帯責任という名の強制トレーニング。  幸運だったのは私が入隊したのは航空自衛隊だったということだ。  陸上自衛隊の訓練はもっと苛烈を極めるらしい。  住めば都というのは本質を突いている。  環境に慣れさえすれば人間なんとかなるものだ。  卒業を間近に控えたころにはみんな訓練後に笑顔を浮かべられる余裕ができる。みんな最初は死んだように俯いていたのに、トレーニングは嘘をつかない。 「笹川! 希望職種はだしたか?」 同期で歳も同じ、気の置けない仲になった朋輩高遠が声をかけてくる。 「俺、大学の入学を保留してるから都内がいいなぁ。」  次の訓練の準備をしながら顔を上げずに返事をする。  半長靴というブーツに似た黒靴をワックスとブラシで磨く。  曇りや汚れなどあろうものならどんなことになるか。  想像するだけで恐ろしい。  四人部屋には黙々とシーツを整えているやつがもう一人いる。  相沢だ。  初対面の印象は冷徹非情な無感情野郎。  こいつは……。  いや社会人経験者の年上なので本来は敬意を払うべきなのだろうが、致命的に愛想がない。  未だに向こうから話しかけてきたことなどなかった。普通の社会なら喧嘩にもなりそうだが、ハードな訓練の前には些事になる。  加えて仏頂面でいつもぎょろっとした目でこちらを覗く。  しゃくに障ったが別段足を引っ張るでもなく、それよりも黙々と訓練をこなし高い運動能力を示した姿は少し尊敬していたのも事実だった。  四人部屋の最後の一人はもうここにはいない。  想像と現実のギャップに堪えかねて入隊一週間後には郷里に帰った。 「俺はそれなりに都会だったらどこでもいいや。遊び場もない僻地なんて地獄だ。俺は身投げをするぞ。」 と朋輩の高遠は本気とも冗談ともつかない言葉を発する。 「まあ今の俺たちなら綺麗な受け身とって助かりそうだけどね。しかもここたった二階だし。」  ここではジョークを理解しないやつは嫌われるが、疲労困憊で余裕がなかった。  そんな俺たちを尻目に相沢は冷ややかな目で床に座った俺たちを見下ろすと部屋を出て行く。 「ちくしょう。なんだよあいつ。」 思わずつぶやいてしまった。 「笹川。あんまりカリカリすんなよ。体力残しとけよ。」 「わかってるよ。」  その日はそれだけで何事もなかった。  あくる日。夕方五時の国旗降下ラッパを直立不動で聞き、食事と風呂を済ますと自習時間になる。自習室で本業とは関係ない大学のテキストを読んでいると何やら喧噪が聞こえる。  なんだ? 非常呼集じゃないよな?  高遠が息せき切って自習室に飛び込んできた。 「笹川。手伝え! 相沢がやらかしやがった!」  本をバタンと閉じると駆け足で隊舎へと向かう。  近づくと野次が聞こえる。  おい、どうした! そんなもんか!  やれやれ! 中途半端じゃ禍根を残すぞ!  早く立てよ!  ため息を吐く。  まったくこれじゃファイト・クラブじゃないか。  人混みに滑り込み中心部へ向かうと顔から血を流した相沢がいた。相沢の運動神経ならそうそう負けないはずだが、相手をみて納得する。 (陸自から転向してきたやつじゃないか。勝てるわけねぇ。)  期間をおかずに試験を受け直すと階級は引き継がれる。  普通、自分たちは二等空士だが、相沢の相手は一等空士だ。  しかも元普通科隊員。  まともな社会人が喧嘩慣れすることはない。  もっともやんちゃなやつが入隊してくるのも事実だが。  誰も動かないので自分が割って入る。 「待て! 西川さん。あんたやり過ぎだ。」  西川と呼ばれた男はふんと鼻をならした後 「向こうから仕掛けてきたんだ。俺は正統防衛だよ。」 悠然と構えている。  相沢が? こいつ何考えてんだ。 「相沢。本当か?」 振り向きざまに問いかける。  あいてから視線を切らずぼそっとつぶやいた。 「先に手をだしたのは確かに俺たい。でもこいつは空自をバカにしよった。」  野次馬から声があがる。 「西川さんは訓練がぬるいっていっただけや。でも本当やろ? 陸さんは訓練は訓練でも戦闘訓練や。ムキになるようなことやないと思うやけどな。」 得心がいかないと首をかしげる。 「やべっ班長がくるぞ!」  誰かが口にした言葉でわっと蜘蛛の子を散らすように各々部屋に逃げ込んだ。  声を出したのは誰かわかった。  高遠だ。機転が利く。 「相沢。ちょっと自習室来てくれよ。」 小声でささやいた。  高遠と連れだって脇をかかえて自習部屋に入る。  奥のパイプ椅子に並んで座り手当をする。  鼻血をふいてやりながら、素朴な疑問を口にした。 「なぁ相沢。なんで自衛隊入ろうと思ったんだ?」  このシンプルな質問は意外とみな避けて通る。  不況になってからこの方経済的理由で入隊する者が多い。  あえて聞くのも野暮になりつつあった時代だ。  相沢は照れくさそうに頭をかく。  初めて見せた人間くさい表情だった。 「トップガンが好きなんや……」 とぼそっと言う。 くっ ぶはっ 二人同時に吹き出してしまった。 「なして笑うと? 真剣やきに!」  肩を叩きながら笑いを堪える。 「バカにしたわけじゃないよ。動機なんて人それぞれさ。」  高遠はまだ馬鹿笑いしている。 「だっておまえそんなこと一言もいわねぇし、真面目な顔でいうからさ。しかもあれ海軍じゃねえか。」  相沢は無視して真顔で聞いてくる。 「二人はみたと?」  もちろんと二人で頷く。  高遠も今度はまじめになる。 「この隊舎いる連中の八割はみてんじゃねえかなぁ」 「トムクルーズに憧れたんじゃなか。おいに航空適正がないのは自分がようしっちょる。あの映画、事故がおきるやろ?」  衝撃的なシーンで一度観て忘れている人はいないだろう。 「自分に何ができるか。ずっと考えちょった。だから墜落したパイロットを助ける人になろう思った。」  まさか。  つばを飲み込んでしまった。 「相沢。おまえ目指しているのか?」  メディックとは航空自衛隊の救難隊にいる救助隊員のことだ。  航空自衛官で陸海他部隊に対抗できる身体能力を持つ集団。  ヘリなどの航空機からの降下があるため空挺部隊の訓練も通過する。  精強な方々だ。  入隊してわずか三ヶ月だがわかっていることもある。  胸のウイングマークは伊達じゃないってことだ。  冷徹、朴念仁、無感動。  そうかこいつはそんな高い目標で今までの訓練をこなしてきたのか……。 高遠は心底感心した様子で相沢を見つめながら言った。 「なんか初めて俺たち同期になれたな。」 「今の自分はまだそこまでの体力はない。黙っててくれるか?」  三人でかたい握手を結んだ。 ※※※※※※  海外派兵帰りの同級生であり、俺を自衛隊にいざなったあいつと酒を酌み交わしたときに初めてこのことを他人に話した。  藤井二等陸曹はウイスキーの水割を飲みながら静かに聞いていた。  階級は差をつけられたが、プライベートではよくしてくれている。 「そいつのことなら知ってるかもしれない。救難隊のヘリパイロットに同期がいるからな」 「なら幹部か? みなさんご立派で羨ましいねぇ。」 「拗ねるなよ。」 イカゲソを囓りながら言葉をつなげる。 「でも安心した。」 「何がだ?」 藤井に聞き返す。 「そういうやつがいるってことは俺の同期も安心だからさ。」  今も過酷な環境で人命救助にあたっているトップガン好きの同期を思い出しウイスキーを傾けた。  了
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