夜明けの白い月に

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

夜明けの白い月に

夜明けの白い月に君の影がきえてゆく そんな光景を見送る僕の気持ちは どうすればいいのだろう。 「ただいま」 誰もいない部屋に向って 挨拶をする。 正確には『人』がいない部屋へ。 「いるんだろ、出ておいで」 しばらく部屋の灯りを点けずに 照明器具のスイッチの側で 静かに佇む。 僕の今いる位置から対角線上に ソファとテレビがある。 そしてソファの下で何かが光った。 そう、猫の目だ。 ぼくはパチンと照明器具の スイッチを入れた。 すると一人者の男の部屋にしては 片付いているのが分かる。 僕は潔癖症なのだ。 そんな僕が猫を飼うなんて 昔の自分だったら信じられないことだ。 だが、今、僕は猫を飼っている。 猫はソファから這い出す。 僕はにこりと猫に笑って 「ただいま」と言う。 猫は上目使いに僕を見上げる。 僕は上着を脱いで猫を 膝の上に抱き上げる。 「何か言ってくれないかな」 僕は猫に向ってつぶやく。 しかし頭を振ってその考えを 振り払う。 「あなたとは合わないと思う。 だから別れましょ」 彼女のあの言葉が僕の耳を 掠める。 始めて好きになった女性だった。 だが、彼女は盛りの過ぎた薔薇を 捨てるように僕を捨てた。 だから僕は猫に言葉を求めない。 あの最後の言葉をもう一度聞きたくないから。 そして僕は猫の頭の髪の毛を撫でる。 長い長い彼女に似た黒い髪。 そして彼女によく似た目鼻立ち。 その顔をじっくり撫でて 今度はシャムネコをした体を撫でる。 それが僕の幸せの一時。 trrrrrr スマホが鳴る。仕事場の研究所からだ。 勤勉な上司から、DNAを組み合わせた 実験動物の様子がよくないらしい。 やれやれ。 僕は猫に水とご飯を与えトイレを綺麗にした。 「いい子にしているんだよ」と 言って部屋を後にした。 空を見上げると夜明け前だった。 月はまだ光を放っていた。 了
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!