10人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ
血と煙の臭いが鼻をつく。
両側を細い道に囲まれた道に、幾人かの屍体が転がっている。淡く輝く月光が、それを照らしていた。幻想的とは程遠い光景、例えるならば奈落の入口とでも言おうか。
屍体はすべて傭兵であった。何かから逃げようとしていたのだろう。ほとんどが同じ方向に倒れていた。
「レミエ、頑張れ。必ず助かるから、死ぬんじゃないぞ」
三人の傭兵が岩路を歩いている。レミエと呼ばれた少女は酷く出血しており、両脇の少年二人に支えられていた。
右脇の少年は、ネイビーブラックの髪とペールブルーの瞳をしている。滑らかな曲線を描く輪郭と、すっきりとした顎周り。切れ長の眼に、わずかに高い鼻。その容貌は中性的ですらあった。
その名前を、ランスロット・リンクスという。
左脇の少年は、ブロンドの短髪に、アンバーの切れ長の眼を持っていた。ランスロットより幾分背が高く、骨格もしっかりしている。
名を、ジュネイ・ヴィーラントといった。
肩まで伸びた、赤みがかったブラウンの髪が特徴的な少女は、レミエ・クラインという。
「この先にアルム川の渡し舟がある。そこまで行けば、追っては来れないはずだ」
ジュネイがレミエに呼びかけるが、レミエは酷く苦しそうで、呼吸をするのも辛そうだった。
「私、死んじゃうのかな…」
声と共に血が口から吐き出される。レミエが咳き込むたびに、ジュネイの顔色が青ざめる。
「レミエ、喋るな。無駄な体力を使っちゃいけない」
対してランスロットは冷静だった。今は何もできないと、はっきりわかっているのだろう。
レミエの状態は刻一刻と悪化していた。止血はしているが、それは応急処置に他ならない。衰弱も酷いために、白魔法による法力治療も受け付けない。ちゃんとした医者の施術を受ける必要があった。
今、ランスロットにできることは、少しでも早くこの危地から抜けだして、レミエを医者に診せることだけだった。
「こちらだ。血の痕がある」
不気味に響いた声に、ランスロットとジュネイが肩をぴくりと震わせた。二人が後ろを振り向くと、月の燐光が二つの影を照らしていた。
「あ、あいつら、もう追いついてきやがった。本当に人間かよ」
歯噛みをしたジュネイは、後方を睨みつけている。
「”常世の忍びは人ならざる者”というけど、それにしても早すぎる」
冷静であったはずのランスロットの表情にも、翳りが見えた。迫り来る追跡者の脅威が、少年二人を追い詰めていた。
わずかに俯いたジュネイが、意を決したようにランスロットを見た。それに気づいたランスロットは、ジュネイと眼を合わせる。
「ここは俺が食い止める。ランスロット、お前はレミエを連れて先へいけ」
ランスロットは眼を見開いている。予想もしなかったジュネイの決意に、返す言葉が見つからないのだ。
それはそうだろう。ジュネイはレミエのことを好きだった。この戦いが終わったら、手に入れた報酬でレミエと静かに暮らしたいと語っていたからだ。それを知るランスロットからすれば、ジュネイの行動は理解し難いものだった。
「駄目だ。ジュネイ。それは俺の役目だ。お前は…」
「いいんだよ」
ジュネイはレミエをランスロットに預ける。レミエは意識があるのかないのかわからないが、それでも呼吸はしていた。そのレミエを、ジュネイは愛おしそうに見つめた。
「世界中の誰よりも好きだから、誰よりも幸せになってもらいたい。それが俺の願いだから…。だから、ランスロット、レミエを頼む。お前が、レミエを幸せにしてやってくれ」
唇を強く噛んだジュネイが、絡みつく想いを振り払うかのようにブロードソードを抜いた。その時、ランスロットに見えた小さな光は、ジュネイの涙だったのか。しかしそれを確認する間もないまま、ジュネイが背を向けた。
「ジュネイ、待つんだ」
ジュネイの体から闘気が発せられる。その眼は鋭く、殺気を宿していた。
「馬鹿野郎、早く行け。振り返るなよ。力の限り駆けろ」
それでもランスロットは躊躇っていた。ここでジュネイを置いていってもいいのか。だが、その迷いはすぐに消えた。
「行けー!」
ジュネイが駆け出した。友の本気を目の当たりにしたランスロットは、レミエの体を両手で抱えた。
闘気がランスロットを包み、アーテルフォルスが放出される。人一人を抱きかかえて走るなど、到底不可能だが、アーテルフォルスを放出すれば、短時間であれば可能だった。
(ジュネイ、死ぬなよ。絶対に、死ぬんじゃないぞ)
微かな祈りを込めて、ランスロットは駆ける。
友のために。
最初のコメントを投稿しよう!