華の一族

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華の一族

 悠然と広がる赤茶けた荒野に、申し訳程度の雑草が生えている。突き出た岩場が所々に聳え、それは大地の雄々しさを示しているようだった。  ランスロットは岩場の陰に張られた天幕で眼を覚ました。陽はすでに昇っている。ゆっくりと体を起こして、天幕から出る。白い陽光がランスロットを迎えてくれた。 「おはようございます。よく眠れましたでしょうか?」  慇懃な仕草でランスロットを迎えたのは、エジル・ベンダーである。白髪混じりの黒い髪を後ろへ撫でつけたその容貌は、一見温厚な初老の紳士といった風情である。  しかし、細目の奥に隠れる眼光は鋭く、身のこなしには隙がない。その本名を、マシュー・イアン・ゲーテという。  イングリッドランド王国史において、宰相、大将軍、政書令といった重職を担った人材を数多く輩出した、国内きっての名門ヴァレリア家。そのヴァレリア家に仕え、陰に日向に支え続けてきたのが、マシューが束ねる諜報集団・八葉だった。 「朝食が出来たところです。よろしければお召し上がりになってくださいませ」  竈に掛けられた鍋から、良い匂いが漂ってくる。腰を下ろしたランスロットは、鍋をじっと見つめている。  ヘイムダル傭兵団を離脱したランスロットは、マシューと共に北へ向かった。目指しているのは、イングリッドランド王国アークス州である。  もともとヘイズルーン傭兵団に所属していたランスロットは、マラカナンの惨劇の真相を探っていた。そこでマラカナンの惨劇の生き残りがいることを知ったが、ヘイズルーン傭兵団はとある事件によって壊滅してしまった。  その後ランスロットはマシューと出会い、マラカナンの惨劇の真相を暴いた。父の復讐のために、フェリックス・ゴットフリート・ベルンバッハという男を探し出したが、その頃からランスロットの中に変化が生じていた。  父の仇を討っても父は戻らない。家族で過ごした平和な日々も帰ってこない。そう気づいてから、ランスロットは真実の究明のみを求めていたのだ。 「貴方には感謝しています。マシュー殿。貴方がいなければ、きっとマラカナンの真相に辿り着けなかったはずですから」  マシューが鍋の中をかき混ぜる手を止めて、ランスロットに目を向けた。俯きがちに語るランスロットを見て、マシューは柔らかく微笑んだ。 「私は私の目的のために、ランスロット様に助力したに過ぎません。それは最初にも申し上げたはずです。そのかわりとして、今度は私の願いを聞き入れていただいている訳です。ランスロット様がお気になさる必要はございませんよ」  ランスロットが顔をあげた。マシューの顔は穏やかで、密偵集団の頭目という事実を毛ほども感じさせなかった。 「イングリッドランド王国アークス州アスランティア郡。そこで一体何が待っているというのです?」  マシューの笑みが消えて、その表情に影が差した。憂いを帯びた瞳からは、マシューが抱える深い苦悩伝わってくる。  鍋からポリッジを掬ったマシューが、椀をランスロットに手渡した。そのまま神妙な面持ちで押し黙ったマシューは、鍋の前で腰を落ち着けた。 「イングリッドランド王国アークス州は、穀倉ともいえる地帯を抱えるだけでなく、皇都(ログレス)やザールランドと繋がる交易路として栄え、大変な財力を有する土地です。私の仕えるヴァレリア家は、かつてはアークス州全域を領有する太守として、繁栄を欲しいままにしてきました」 「今は違うのですか?」  小さく頷いたマシューが、少し視線を上にやった。それはなにかを回想しているようにも見える。 「今、ヴァレリア家の所領は、アークス州のアスランティア郡のみであります。アスランティア郡も豊かな土地ではあるのですが、かつての栄光と比ぶべくもありません。没落した名門一族。ヴァレリア家は巷ではそのように言われておりますな」 「なぜ、そのようなことになったのですか?」  ランスロットは椀を持ったまま、ポリッジを食べるのを忘れていた。食べてから訊けばいいとわかってはいても、会話を続けたい欲求が勝ってしまったのだ。 「ヴァレリア家の現当主マヌエル様の嫡子アーウィン様は、その将来を嘱望されるお方でございました。お館様も大変期待されておられたのですが、アーウィン様はフォルセナ戦争の最中、神速陥陣(アイン・ファレン)の異名を持つテュール・ヴィートス・アンドリューという、ベルゼブール十二神将に討ち取られてしまいました。当時のお館様の落胆ぶりは凄まじかったものです。そこで皇都(ログレス)で政務官として働いていた次男のウィルバー様を呼び戻し、当主の座に据えたのです。しかし、ウィルバー様は戦いを恐れ、軍を率いていたにも関わらず戦線を離脱してしまわれたのです。正直、同情するところもありました。武術の修練こそ積んでおりましたが、ウィルバー様は戦いの経験はございませんでしたから。王国の軍役規定に違反したウィルバー様は捕縛され、処断されてしまったのです」  マシューが深いため息をついた。ポリッジを口に運んだマシューにつられるように、ランスロットも朝食にありついた。  一度会話を切った二人は、食事を済ませると再び向き合った。手元には木のコップに入った茶が置かれている。 「お館様はまだ幼かった三男のチェスター様を後継にすることを決めました。しかし、ヴァレリア家が軍役規定を犯した事実は覆せません。お館様は名誉挽回のために自ら指揮を執り、フォルセナ戦争を戦い抜いたのです。ですが、その努力に追い討ちを掛ける出来事が起こりました。三男のチェスター様が熱病によって逝去され、さらにヴァレリア家は戦後の国領整理に伴って、所領を現在のアスランティア郡に減封されてしまったのです」  喋りながらマシューが時折小さく首を振り、苦しみの様相を表している。それだけで、マシューの忠誠心の厚さが窺えた。 「お館様はヴァレリアの血に執着があります。ひとり娘であるベルリネッタお嬢様の婚約を破談にし、ホーンド家から婿を招いたのですが、その方にヴァレリア家を継ぐ器量無しと仰られ、あろうことか離縁させてしまったのです。そうした噂はすぐに貴族の間に広まり、誰もヴァレリア家に見向きしなくなってしまったのです」  マシューが再び嘆息を洩らす。名門の血に固執するあまり、暴走を続ける主人が心底から気掛かりなのであろう。  そうしたマシューの忠臣としての姿を、ランスロットは興味深く思っていた。 「ベルリネッタ様は今ヴァレリア家のお屋敷で、夫となるお方と暮らしております。母君であるヒルダ様が病に倒れられ、正式な婚礼の儀は執り行われておりませんが、このままいけばあの男がヴァレリア家の当主となり、ベルリネッタ様の夫となることでしょう」  マシューが語気を強めた。静かな風を漂わせていたマシューが突如気色ばんだので、ランスロットも驚いていた。 「その男の名は、サルマート・ピティ・メリアガンス。小豪族の養子であり、メリアガンス家は家格ではヴァレリア家に及びません。しかし、そんなことはどうでもよい」  マシューの双眸がランスロットを捉える。瞬間的にランスロットは、身構えるような気持ちになった。 「ランスロット様。貴方には病床に伏せる奥方様にお会いしていただきたい。そして、そしてどうか、奥方様の願いを聞き入れていただきたいのです。奥方の愛する、ベルリネッタ様と、お館様をお救いするために」  いつしかマシューの眼に涙が滲んでいることに、ランスロットは気づいた。  イングリッドランド王国アークス州アスランティア郡。名門一族に降りかかる災厄に、ランスロットは足を踏み入れようとしていた。
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