華の一族

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 屋敷の庭園と同じように、館の中も清掃が行き届いていた。廊下には塵ひとつ落ちていないだけでなく、窓も綺麗に磨かれている。階段の踊り場や通路には絵画や調度品が飾られており、これが当主の趣味なのだと窺わせる。  館の三階、東側にある部屋が、ヒルダ・ディアナ・ヴァレリアの寝室である。床についていることが多いので、今は侍女などごくわずかな人間しか出入りしない。  マシューが扉を叩くと、侍女がひとり顔を出した。すでに面会が伝えられているのか、すぐに室内に通された。  紺の絨毯が出迎える寝室は、飾り気のない静謐な空間だった。当然と言えば当然だが、ここに至るまでの装飾を考えると、本当に同じ館なのかと錯覚するほどである。  陽当りのよい窓辺に、ヒルダが横たわる寝台があった。美しいプラチナブロンドの髪は、ベルリネッタと同じで、蒼い瞳も一緒であった。体は花柄の毛布に包まれて全体が見通せないが、頬は少し痩せこけていた。 「奥方様、ただいま戻りました」  マシューが一礼すると、ヒルダが顔を横に向けた。 「無事に帰ってくれてなによりです。マシュー。私の願いを聞き届けてくれて、とても感謝しています」  ヒルダの眼が、マシューの後ろに控えるランスロットを捉える。口もとが緩み、柔らかい笑みが浮かんだ。瞬間、ランスロットは戸惑いと同時に、どこか懐かしい気持ちになった。 「こちらへ」  ヒルダがじっとランスロットを見つめる。本当に側に寄っていいのか迷うランスロットを気遣い、マシューが手を差し出した。 「失礼いたします」  一礼してから、ランスロットは寝台の側に立った。その間も、ヒルダはランスロットから視線を外さなかった。 「美しい容貌ですね。私が若ければ、恋に落ちてしまったかもしれません」  クスクスとヒルダが笑う。面と向かって褒められたのが照れくさかったランスロットは、思わず頬を染めてしまった。 「まあ、ごめんなさい。からかうつもりはなかったのですよ。ただ、素直に思ったことを口にしたまでです。でも、本当に惹きつけられたのは、貴方の眼です。同じ年代の貴族の子息たちは、もっときらきらとした眼をしているけれど、貴方の眼はどこか違います。かといって、暗い眼をしている訳でもない。とても不思議ですね」  返す言葉が見つからず、ランスロットはただヒルダの話に耳を傾けている。しかし、ランスロットには訊きたいことがあった。それが顔に出ていたのか、ヒルダがゆっくりと頷いた。 「何故自分がここに呼ばれたのか、知りたいのですね」 「はい」  ヒルダが毛布から手を差し出す。ランスロットは、膝をついてヒルダの顔近くに体を寄せた。  ヒルダの手が瘦せ衰えていた。その体を確実に病が蝕んでいることがわかる。ランスロットの顔に、わずかに影が差した。 「哀れまないでください。私は私の運命を受け入れるだけです。子どもたちの方が、よっぽど可哀想だった。私より先に逝ってしまうなんて」  ヒルダの声が震える。亡くなった子どもたちへの愛、そして哀しみは、消えていないのだろう。 「私は魔法に通じているのです。中でもドルード魔法(感覚魔術とも呼ばれる。対象となる人物の魔力を感知して居場所を特定したり、魔力を発する物体を探知したり、自分以外の生物の魔力を察知する。また、相手の気や思念を読み取ることもできる。占術もこのカテゴリに入る)を得意としています。夢見という術法がありましてね、それによって未来を見ることができます」  ランスロットは強く頷いた。今は弱くなっているが、近づいてみればたしかにヒルダの魔力を感じることができた。 「ヴァレリア家に禍が降りかかる。その夢見を体験してから、子どもたちが次々に亡くなりました。占いというものは曖昧なものでありながらも、真実が隠されているものです。そして運命とは、変えられない定めと、変えることのできるものがあります」  ヒルダの手がランスロットの手に触れた。まだぬくもりの宿る掌から伝わるのは、幼い頃に触れた母の記憶だった。ランスロットはヒルダの微笑みから感じた懐かしいものが、母の面影であったことに気づいた。 「無理を承知でお願いします。私はもうすぐ死にます。ですが、残された我が子、ベルリネッタだけは、幸せを掴んでほしい。そして、あの人にも、苦しみから解放されてほしい」  ヒルダの手からランスロットの手へ、そしてランスロットの頭へ。ヒルダの思念が伝わっていく。ヒルダが何を願っているのか、ランスロットはすべてを理解した。  ランスロットとヒルダは、お互いに見つめ合ったまま動かなかった。しばらくして、ランスロットは大きく息を吐いた。 「貴女の願いを叶えれば、今、俺の求めるものも手に入る。それもお見通しという訳ですね」 「身勝手な願いだわ、本当に。貴族というものは、身勝手な生き物なのです。それでも、私は自分の愛する者の幸せを願います」  ランスロットはヒルダの手に、もう一方の手を重ねた。 「わかりました。ヒルダ様の願いを叶えるために、この手を汚しましょう。もともと、血で穢れた手です。お気になさる必要はありません。それに、俺の求めるものは、綺麗なままで掴めるほど甘いものではない」  ランスロットの強い意志を感じ取ったヒルダは、安心したように何度も頷いた。 「貴方になら任せられると、確信しました。これで、私も思い残すことなくあの子たちのもとへ逝くことができそうです。なにか困ったことがあれば、マシューに申し付けてください。可能な限り助力してくれるでしょう」  ランスロットが振り返ると、マシューが頭を下げた。 「少し眠ります。この体でドルード魔法を使うと、疲れるものですね」  立ち上がったランスロットは、一礼してからマシューと共に部屋を出た。人払いをしてあるのか、部屋の付近には誰もいなかった。 「今後ランスロット様は、戦禍によって奥方様を頼ってきたリンクス家の者として、このお屋敷で暮らしていただきます。すでにお館様には了承を得ておりますので、普通に生活していただいて構いません」 「わかった。本当の目的を忘れないようにしておこう」 「では、お部屋にご案内致します」  マシューの後を追って、ランスロットは歩き出した。  変えられない運命と、変えることができる運命。ヒルダの言ったことが、ランスロットの中で思い出される。 (俺は変えてみせる。すべての運命を)  ランスロットの足取りは力強く、その心は決意に溢れていた。  
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