華の一族

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 ヴァレリア家の居館には、使用人たちの部屋も用意されている。本館と別館に分けられており、本館はヴァレリア家の者や、執事(バトラー)が使う館で、別館は炊事・洗濯・清掃などの雑用を担う使用人が詰めている。  マシューはヴァレリア家の執事(バトラー)も務めていた。留守をする場合には、マシューの側近がその役割を担う。  ランスロットは本館一階の、西側にある部屋に案内された。四タイズ(一タイズ=六畳)ほどの広さで、綺麗に清掃されていた。  入口から目を引くのは、鮮やかな深紅の絨毯であった。その上に焦茶色の長椅子と黒塗りの長卓が置かれ、横には整理棚がいくつか配置されている。木製の仕切り棚の奥には寝台があり、仕切り棚と壁の間は、幕布が掛けられていた。部屋の右手側には、浄房と浴場に通じる扉があり、この部屋だけで生活を送ることも可能であった。 「ヴァレリア家の縁者が宿泊になる際、ご使用になる部屋でございます。家具や調度品も一通り揃っておりますので、生活の不自由を感じることはないと思います。ひとつだけ注意していただきたいのは、お館様がお住まいになる三階には、不用意に立ち入らないようお願い致します」 「当主殿はどのようなお方なのです?」  これからヴァレリア邸で生活し、自身の目的を達成する上で、避けては通れないのが、ヴァレリア家の当主マヌエル・フォン・ヴァレリアだった。ランスロットとしては、少しでもその人格を事前に把握しておきたかった。 「厳格、という言葉がぴたりと当て嵌まると思います。名門の当主としての誇り高さを持ち、名誉と格式を重んじるお方です。ヴァレリア家に向けられる批難や蔑視には非常に敏感であられます」 「なるほど。つまり助力のようなものは期待してはいけない、ということですね」  肩をすくめたランスロットは、荷物を棚上に置いて、長椅子に腰掛けた。広すぎる。部屋に対するランスロットの印象はそれだけだった。 「どうして俺なんですか?」  マシューがランスロットの方を向く。ランスロットは感情のない瞳で、長卓の一点をじっと見つめている。  ヒルダには上手くかわされてしまったが、何故ランスロットがヒルダの願いを叶える役目に選ばれたのか、明かされていなかった。べつに自分でなくてもよいはずだと、ランスロットは思っていたのだ。 「ランスロット様のことはいろいろと調べさせていただきました。ヘイムダル傭兵団に身を置く前に、ヘイズルーン傭兵団に所属していたこと。それより前は、光のヴァンパの一員であったこともです」  思わず顔を上げたランスロットは、マシューをきっと睨みつけた。無意識に殺気を放ってしまったことに気づき、自分を落ち着かせるように息を吐いた。  光のヴァンパは、孤児となったランスロットが身を寄せた盗賊団であった。紛争地帯ビフレストを中心に活動していた光のヴァンパは、次第に諜報などの仕事も担うようになり、人材育成のために孤児を積極的に集めていた経緯がある。 「まさかそこまでわかっているとは、八葉の情報収集力も確かなものなのですね」  マシューが苦笑する。ランスロットの機嫌を損ねてしまったかと思ったマシューだが、その心配はなさそうで、少し安心していた。 「リンクスという名前から注目させていただき、経歴を知れば知るほど興味が沸きました。そして実際に会ってみて思いました。奥方様の願いを叶えられるのは、この方しかいないと」  どこまでが本当のことなのか、ランスロットはわからなくなった。しかし、マシューは真剣そのもので、その眼に濁りなどはなかった。 「イングリッドランド王国広しといえど、優れた人材が雲霞の如くいる訳ではございません。ましてや、英雄の気風を纏う者など、ほんのひと握りです」 「英雄などと、買い被り過ぎですよ。マシュー殿。俺はしがない戦士でしかありません」  それ以上何も言うつもりはないのか、マシューは微かな笑みを見せながら、ランスロットの荷物を整理した。  何をするでもなく、ランスロットはただ長椅子に座ってぼんやりしていた。頭によぎったのは、ヘイムダル傭兵団で出逢ったガウェイン・シュタイナーのことだった。  復讐の果てにガウェインが手にした事実は、残酷すぎる現実であった。それでも、自分の力で立ち上がり、前に進んでいくしかないのである。ランスロットの掛けた言葉が、最後にガウェインに届いたかはわからなかった。 (眼がジュネイにそっくりだったな。眩しいほどに純粋で、真っ直ぐで。だからこそ、自分を無理に追い詰めるようなことはして欲しくない)  いつの間にか荷物の整理を終えたマシューが、ランスロットの横に立っていた。まだ何か用事があるのかと、ランスロットはマシューの顔を見やった。 「お館様は皇都(ログレス)に留まり、メリアガンス卿は郷里に帰っておられます。今、この館は平穏なのですよ」  マシューが何を言おうとしているのか、計りかねたランスロットは、次に発せられるひと言をじっと待った。  マシューは窓へと視線を送った。 「ベルリネッタお嬢様は、気晴らしに庭園を歩くことがあります。まあ、人なら誰しもあることでしょうが、今はこの館は平穏です。ベルリネッタお嬢様も、少し肩の力を抜いておられるかもしれませんね」  ランスロットは、マシューがなにを言いたいのかをやっと理解した。  当主マヌエルと、次代当主のサルマートが不在。それは、邪魔者がいないということを意味していた。  長椅子から腰を上げたランスロットは、伸びをしてから外套を手に取った。 「外の空気を吸ってこよう。今日は良い天気だ」  マシューが一礼する。扉を開けたランスロットは、外套を羽織ると、館の外へと足を運んだ。  庭園も嫌になるほど広かった。不思議と衛兵の姿も、使用人の影もない。敷地をぐるりと見て回るランスロットは、館の裏手にある池の近くで足を止めた。  池には魚が優雅に泳いでいる。その池のほとりで、ランスロットは魚に餌をやる女性に釘付けになった。 (ベルリネッタ・アイシス・ヴァレリア)  無意識のうちに、ランスロットは心の中で名前を読んでいた。  それに応えた訳ではないだろうが、ランスロットの気配を察したベルリネッタが、顔を上げて立ち上がる。  また、二人が見つめ合う。  哀しみを押し隠したような瞳をしながらも、悲壮さが微塵も感じられないベルリネッタの凛々しい佇まいは、ランスロットの胸に強く響くものがあった。    
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